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中央地帯のニューランドのレビュー・感想・評価

中央地帯(1971年製作の映画)
4.7
まさに、実験映画に留まらず、映画史上の金字塔である。私は特に実験映画に詳しいわけではないが(というか、あらゆるジャンルに熟知しているものはなく、それぞれを浅く少しかじってる程度)、この分野の、全映画史の上でもTOP中のTOPと個人的に感ず上位10本として、『ドッグ・スター・マン』『弦走』『セントラル・リージョン』『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』『幼年期の情景』『MOVIE WATCHING』『われらのアフリカ旅行』『波長』『チェルシー・ガールズ』『cinema concret』『WINDOW』(あまりに素晴らしいのに作品リストに無く触れる場所もないので突っ込んだが『弦走』はジャンルが少しズレるかも。ベニングやP・ハットンと差し替えてもいい)等を挙げたい。
1972年の映画雑誌『映画評論』紙上の座談会で、アメリカ旅行から帰った故・松本俊夫氏が真っ先に収穫として挙げたのが本作だった。日本上映が実現したのは、十数年後、音楽も含め多分野で活躍する作者の来日・レトロスぺクティブの催しの一環としてであった。日本でも番組編成の定番の『波長』はともかく、ここで『←→(BACK AND FORTH)』(パンとティルトの徹底を図った最も純度の高いスノウ映画)や近作も初めて観た。本人の講話・質疑応答も楽しかったが、彼を招いた主催者側のひとり(外国作家の知られてぬ手法盗用を得意とする実験作家)が余りに馬鹿馬鹿しい初歩的な質問を自分の沽券にかけて、行っていたのは情けなかった(スノウも呆れていたが、後日発売の質問者が編集長を務める映画雑誌では神妙に答えを発しているように改変してあった)。
カメラの捉える世界の連続性と区域性を探る初期作群の、手法的にも集大成とも呼べる、パンニング・ティルトの往き来、ズームの進行の従来作を踏み重ねて進み、限られた足場・視界を極限まで豊かに大きく横と縦のそれぞれのorブレンドした壁塗りor回転運動で深め、その全方位化・スピードアップがなされてゆく作品である。更に細かく、篇中影が写る回転するアームが大小何重かに繋ぎ合わさってるのを同時に行ってもくるも加味され、画面も高度・画角・距離感・傾き(真逆へも)が次第にor瞬時移行してく変異が自然体の中で。振る方向が切替わったり、廻りきらずにいわゆる壁塗りへも、また一直線でなくキュッキュッとした不連続的高度アップも、更に動くアームをリンクさせ楕円形運動も示してくる、都度なにかに導かれ移行してゆく。微細な音楽が感じられ、最初30分はリアルタイムも以降は×の透過光の板がよりこまめにはいり、夕方~夜~朝の一日を表現してゆく拡がりへ。繰返し捉えられてく・時刻等によって色合い・感触も変異してく、地表の石・土・草らの大小様々、視界があがると、大岩・台地や後景の山並・湖、更に上には淡い雲と空は、神秘と現存性を同時に投げ掛ける。ラストの形状も消え溶けあう超高速運動は、スピードも消えて単色の瞬間支配へも変化してゆく、のも結論や意志によってでなく、大きくて小さい世界の一過渡期でしかない。
子供の遊び感覚極限のめり込みか、神の世界操作冒涜か、それ以上の神秘・厳然のあらわれか、単なる機械的運動形か、そのどれでもあり、どれでもない、計りがたく壮大でかつこの上なく身近な本作の世界・宇宙は、ある時代とそれ以上の期間を引き受ける、美意識に基づく映画の時代が決定的に終わる・同時に方法論だけが支配する芸術の死に体を教え込む、実験映画を超えた唯一的到達点の作である。
2019.03.04記
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