ろく

牝猫たちのろくのレビュー・感想・評価

牝猫たち(2016年製作の映画)
4.0
ロマンポルノリブート⑤(final)

なんかかんだで5作品を見たけど、結局ロマンポルノに敬意を払っているのは塩田明彦の「風に濡れた女」と白石和彌のこの作品だけかもしれない。

当然、ある程度ロマンポルノを見ている方ならこの作品が田中登の「牝猫たちの夜」のオマージュであることがわかるだろう。そもそも題名もほぼ一緒だし、出てくる女性も3人で一緒。3人とも性風俗店で働いているのも一緒だ(店名は「極楽」の文字は欠かせない)。最後のシーンまで舞台は池袋の雑踏と田中作品が好きな人なら泣ける展開になっている(実際、この映画の最後、街のシーンで終わったときは動悸が止まらなくなった)。

そして精神までが田中作品のオマージュだと感じた。田中作品の文法はどこまでも悲惨なのに最後に清々しいほどの「ユーモア」を持ってくる。そしてそのユーモアは人間賛歌だ。「悩むな、生きろ」そう僕らを力づけてくれるユーモアだ(まだ見てない人がいるなら田中登の「㊙色情めす市場」は絶対にそのユーモアで見るべきだ)。涙は、悲しみは人を縛るが笑いは時に人を解放する。田中にとって最後のユーモアは見ている僕らを解放してくれるものだ。

そもそも白石は陰惨な事件を得意とした社会派の映画監督だ。でも僕はそこにいつも不満を感じていた。というのも白石の作品は基本「道徳」で成り立っている。最後はその道徳を「押し付けてくる」。「孤狼の血」や「死刑に至る病」など僕は低評価なのだけどそれはその「押し付け」をなんとも窮屈なものに感じてしまうからだ。

でも今作品はそこが違った。窮屈さは最後10分まであったのだけど(特に屋上のシーンはまた日本映画の悪癖を見せられるのかとうんざりしたが)、最後の最後になんとも愉快な「解放」を用意してくれた。そのシーンを見て「生きる」ことが大事だよと田中が乗り移って教えてくれる感じまでした。最後の直前まで喋りすぎなこの作品に不満だったんだけど、最後の最後で逆転満塁ホームランを打たれた。参った。そこにあるのはしたたかに生きる「人間」の姿だ。芹明香だったらきっとこう言うだろう。「生きていりゃそれでいいんだよ」って。

田中登の映画では最後の新宿は朝、訪れる。そこで全てがリセットする。でもこの映画では夜の池袋だ。夜はリセットされないのか。いや、違う。大丈夫だ。夜でも「顔」は上がっている。そこには迷いはない。

※トロサーモンの久保田が縛られるシーンは反則である。僕が伝えたいユーモアでは全くないけれど純粋に可笑しい。と言うかトロサーモンはなぜ出ていたのか謎である。

※最後のシーンがなければ2点台をつけようかと思ったけど最後のシーンだけで思いっきり持ってかれた。全体の評価なんかいらないと思わせる怪作だと思っている。
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