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デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり/ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットのditaのレビュー・感想・評価

5.0
@第七藝術劇場  

音楽における付加価値というものは時に純粋に音を楽しむという行為を妨げるし、音楽家にとって本意ではないことも多くて、例えば耳の聞こえない作曲家、盲目のピアニスト、美人ヴァイオリニスト、巨乳歌手、触れるきっかけとしてとしては有効だし聴かせてなんぼの世界で使えるものはどんどん使ってよいと思う。

ただ、それが聴く側に影響を及ぼしてしまうのも事実で、実際わたしだって穿った見方や聴き方をしてしまう。
「精神を患ったピアニスト」という肩書きはデイヴィッド・ヘルフゴッドにとって正しいものなのかそうではないのか、その肩書きが邪魔をしないのかと正直思っていた。

という浅はかなわたしの考えを軽く飛び越え、心の底から湧き出る感情にわけのわからない涙を延々と流し続け、上映後も顔を覆って泣いてしまい全く立ち上がれず、スタッフさんが片付けに回ってきても聞こえない声で「ごめんなさいちょっと今無理…」としか言えないくらい、デイヴィッドのピアノに魂が震えた。

予習(復習?)の意味も込めて午前中に『シャイン』を観返していたのもあって、冒頭から色んなことを思いながら観ていて、サムズアップ好きな爺さん誰やっけ浪越徳治郎やとか(アレは指圧やけど)、ジェフリーラッシュの再現度凄いなとか、いつ乳揉むねんとか(シャインでめっちゃ揉んでたから)、そういう邪念もいつの間にか消えて、音符もこんなに楽しく表現してもらったら嬉しいやろうなとか、歓びという感情を音で表現するというのはこういうことかとか、純粋に音楽を楽しむ自分がいた。
The Musicっていうバンドがいたけど、デイヴィッドはまさに「音楽が人の格好をしている」と思った。

デイヴィッドにとってギリアンは妻であり母であり友でもある。コンサートで会う人や道で話しかけれらる人は困惑しつつも笑顔になるけど、いつもデイヴィッドと一緒にいるギリアンは時に怒り不機嫌な顔をする。
映画がそこを掘り下げてはいないのは、過去のデイヴィッドの苦しみやギリアンの苦労よりも、今ふたりがどのように人生や音楽と向き合っているかを伝えたいからだと思った。

人は変われる。愛する人や物があれば前を向ける。
デイヴィッドは「人や物事はどこかで必ず干渉し合う」と言う。それならば人とは笑顔で接しよう。物事には素直に向き合おう。

クラシックを知らなくても、デイヴィッドのピアノを知らなくても大丈夫。選ばれた才能と積み上げた努力、演奏する歓びによって奏でられる彼のピアノは無条件で楽しいから。

素晴らしい音楽映画であり、素晴らしい人間賛歌。
音量上げめで掛けてくれてありがとう七藝さん。是非ひとりでも多くの人がこの作品に触れて幸せで楽しい気持ちになりますように。
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