チャンミ

羊の木のチャンミのレビュー・感想・評価

羊の木(2018年製作の映画)
3.8
富山県の魚深市という、架空の町を舞台に、刑期を終えて出所したものの身元引き受け人がいないため、自治体が過疎対策のために秘密裏に受け入れる、というお話は、「罪を償う」ということは他人との関係の中でしかなしえないということを示した良作でした。

6人の元服役囚に対する不審の目の残酷は、本作で描かれているよりももっと陰湿かもしれない、とおもうくらいあっさりしているのが少し気になるけれど、閉鎖的な田舎ではかんたんにうわさが広がってしまうことは想像がつく。
過ちからいかに回復するか? という「更生」には、刑期を終えたからという単純な話ではなく、共同体による包摂も必要なわけだけれど、「矯正不能な犯罪者」というレッテルを貼り、監視し、遠ざけるほうがかんたんで、わたしたちはその暴力性を不問にしているのではないか、と6人の危うさを想像するたびに突きつけられるようだった。
そのあたりの絵作り、キャラ作りが吉田大八演出は巧みで、観客側に潜む「毒」を炙り出すために、とぼけて説明のない日々の生活の中から、理容院の髭剃りの様子や、要領のよくない仕事ぶりなどに急にフォーカスを当てる。
観客が「ゾッとしてしまう」のは、彼らを「元服役囚」という属性で見ているからじゃないか?
「元服役囚」とわかった途端に身構えたり、説明を求めてしまうのは差別であり、偏見ではないかとおもうのだけど、かと言って曇りなき目でその人自身を見ることはそんなにたやすくもない。

「のろろ様」なる、魚深市の守り神はユーモアが効いているし、同時に閉鎖的な共同体の排他性と、包摂の可能性を示唆していて興味深い。
「見てはいけない」とされるのろろだけど、その理由は明確ではなく、「そういうものだから」と不問とされる。
奇妙な祭り、言い伝えは日本中にたくさんあるとおもうけど、こうした風習が呪いとなり、従わないものを排除する力になり得る。
都会から戻ってきた主人公が慕う木村文乃演じる女が、激しく歪むギターを奏でるのは、この閉鎖性に対する個人のできる対抗なのかもしれない。

優香演じる若い女が、錦戸亮演じる主人公の父親に恋をし、ふたりは添い遂げることを考えているけれど、その「説明」をしない本作において、主人公同様に非常識と見てしまう観客は(わたしも一瞬考えた)偏見の目を向けているのではないだろうか。
おもしろいのは、その父親の姉か妹、つまり主人公のおばが、半身不随らしき兄の介護や見取りのことを考えたら、若い女が本気なら好都合と考えているところで、意外とそんな理由で「常識」が覆されたりもする。

物語のハイライトはある元服役囚に対する疑惑をめぐる話なのだけど、その展開は痛ましかった。
「元犯罪者」というレッテルには「元」などないという厳しい視線で、共同体からの排除であり社会的な死の宣告ともなり得るのだから、ならば、「こうとしか生きられない」となるは(許されてはならないのだけど)しかたないとも言えはしないか。

過剰に煽らず、日本海側の漁港街の侘しさと、海やその向こうの雲間の朝焼けを捉える静かな吉田大八の演出は、観客ひとりひとりの声に耳を傾けているようで、共犯関係を切り結んでいかざるをえない巧みなものでした。

「善人/悪人」の分けられなさというテーマは、閉鎖的な人間関係の田舎なのに広大な自然がある町という点でも、『スリー・ビルボード』と近い印象がある。
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