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ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章の接続設定のレビュー・感想・評価

4.0
最近酷評の名高いマンガ実写化作品。当初は見に行かない予定でしたが、チラホラと意外と悪くない評判を聞きましたので、映画館で鑑賞してきました。

結論から申し上げると


『エンターテイメント作品として』非常に作られ方に見応えのある作品でした!


以下、もろもろ感想を連ねていきたいと思います。



■まず気になるクオリティ
学芸会みたいな衣装、棒読みのセリフ… 大丈夫?
まず、まっさきにそんな不安がよぎりますが、不安どおりです。
でも、ここに作られ方の面白さがある。詳しくは後述。


■奇妙なクオリティバランス
本作実に奇妙なクオリティバランスを持っています。

衣装やセリフにクオリティの低さが気になる点がある。
けれども映像の撮り方や、独特な世界観の創り方…
また、役によっては非常に素晴らしいクオリティを持っているんです。

この奇妙なクオリティのバランスに、本作のエンターテイメント作品としての、作られ方の見応えを探す面白さがありました。



■世界観と舞台、住みたい町『杜王町』
まず一番素敵な世界観からいきましょう。
本作、日本ではなく、三池監督の発案でスペインの町で撮影を行ったそうです。

この街の雰囲気がまずとっても素敵!
ジョジョ4部は魅力的なキャラクターが活躍しますが、それと同時に『杜王町』という町も重要なキャラクター。
映画序盤に『住みたい町ナンバー1』(だったかな?)という"広瀬康一くんのナレーション"で説明されるのですが、この欧州の下町のような、それでいて日本らしさも見える架空の町。

この誰もが『あ!行ってみたい!』と思える町の魅力の表現&観客と同じ目線にある"転校生"である康一くんにナレーションされることで、ジョジョの独特で個性的な雰囲気を持つ『奇妙な』世界への入り口を、いとも簡単に開いて、僕達を誘ってくれるのだ。

日本なのに日本じゃない違和感はどうだろう?
これに関しては、個人個人の受け取り方で違和感を感じてしまう方も否めないが、僕は『外人が想像する謎日本』に近い感覚。ニンジャスレイヤーの『ネオサイタマ』のような、ベイマックスの『サンフランソウキョウ』のような?僕にはこの映画の『杜王町』は、そんな素敵な魅力があった。
ヨーロッパのような家でテレビゲームをする仗助、石畳の路地でケンカを売るヤンキー、女神像ある廃墟の立ち入り禁止という日本語の看板、この日本とヨーロッパの奇妙なマッチング具合が、またなんとも、英国やアメリカという異国の血を持つジョジョが日本にいるという奇妙なマッチング具合と合っていていいじゃないか。



■映像の撮り方
本作、ドラマやドキュメンタリーのような"生っぽい"映像ではなく、明暗ハッキリした色鮮やかで黒をやや抜いていて、これにより奇妙な世界観の雰囲気がより強く感じられる。影が濃い分、役者さんの顔立ちの陰影がハッキリし、彫りの深い顔立ちのジョジョキャラに一歩近づくような撮り方の面白さも垣間見える。

アングルもところどころ"漫画的"な画角やパースの付け方が見られるのも面白い。一番最初に気づいて印象に残っているのは、仗助初登場のシーンで、建物を背景に彼を下から煽りで撮っているのですが、このカットが実に漫画的。そして、下から撮るものだから、必然インパクトがあって、さらに"背が高く見える"。作品全てのカットを覚えているわけではないが、もしかしたら日本人の役者さんの身長がジョジョのように高く見えるよう、様々な工夫が凝らされているかもしれない。(逆に康一くんの背が小さく見えるようにしてるのもあるかも… と思うとDVDも楽しみだ)



■脚本構成の素晴らしさ
今回の映画は大きく分けて、原作でいうところの『仗助と承太郎』→『アンジェロ』→『虹村兄弟』の3つ。
原作では『アンジェロ』で、一旦話は区切りと落ち着きを迎え、そこから『虹村兄弟』が始まっている。
今回の脚本構成では、冒頭からアンジェロと虹村形兆の出会いから始まり…

『形兆がアンジェロをスタンド使いにする』→『仗助の祖父がアンジェロに殺される』→『アンジェロから形兆の手がかり(弓と矢)を得て虹村兄弟編へと続く』という、初見さんにも解かり易い、スムーズな構成になっている。
また、OPでアンジェロと仗助の祖父の因縁の始まり、仗助の祖父が知っていた男がコンビニ強盗、コンビニ強盗から町の異変に感づく、といった人物や事象の関連付けの手際の良さも、むしろ原作のポッと出の関連付けよりスムーズじゃないだろうか?

お話が解かり易いのは当たり前のことかもしれないが、原作3つの話を映画一本に収める構成の解かり易さは、素直に手堅い創り方をするなぁと感心してしまいました。

気になったところがあるとすれば、それぞれの話の繋ぎ部分に、やや間延びした感があったので、その部分をもう少し手際よくすればテンポを落とさないかなと思いましたが、区切りとしてあえて間延びさせたのかな?という見方もできるので、なんとも



■学芸会みたいな衣装
衣装はチープに見えてしまう… が、実はここが『奇妙なクオリティバランス』。
前述のとおり、素敵な点が多い反面、衣装だけなぜか学芸会というかコスプレのよう。
これは… 本当にこのクオリティでしか作れない美術レベルなのか…?

この"奇妙"に、ちょっと疑問を感じたので、個人的に考えてみました。

1.ネタとしてのチープ
中途半端にクオリティをあげるより、チープな方が『またマンガ実写のクソ映画かよ!!』みたいな、トレンドや話題になりやすいというケース。こういう効果も少なからずあると思いますが、これだけじゃない気がする… と思ったのが次の案

2.衣装という名の歌舞伎
歌舞伎見ますか?ド派手な衣装で、隈取っていう化粧が独特のアレです。歌舞伎は『善玉』『悪玉』のように役を認識させるため、物凄いキテレツな衣装を着ていますが、見てるうちに、独特の世界観や言い回し、ポーズなどから段々と慣れてきます。

もしかしたら、ジョジョのチープな衣装も歌舞伎の意味合いがあるのかも…?という"見方の一つ"です。
リーゼントや帽子、個性的な服装など、一見チープに見える衣装。そしてジョジョの世界観や言い回しなど、歌舞伎の技法と幾つかの類似性を見出せる気がするのです。

またキャラの色にも注目してみましょう。歌舞伎は『善玉』には『赤い隈取』がされ、『悪玉』には『青い隈取』がされます。
今回のジョジョも、当然原作のイメージもありますが

・上品さや感性、穏やかや心身の回復を促すイメージを持つ紫は『仗助』
・正義、潔白、信頼、冷たさと虚無のイメージを持つ白は『承太郎』
・未熟、可能性、安心、若さ、保守的のイメージを持つ緑は『康一くん』

そのほかにも、邪悪さの黒の『アンジェロ』、作中通して注意を向けたい黄色の『形兆』、馬鹿だけど誠実さや悲しみを芯に持つ青の『億泰』などなど、若干こじつけめいた偏った見方かもしれませんが、単純にチープと見るだけでなく、もしかしたら、こういう意図があるのかも…?と、見ると作られ方の面白さが垣間見えてそうですね。



■演技
気になる演技ですが『アンジェロ』『形兆』『億泰』『由花子』『仗助の祖父』など、魅力的な演技をされる主要キャラのみなさんが素晴らしかったです。
・人体を解剖するかのように食事をするシリアルキラーめいた演技が光る『山田孝之』さん
・物語後半、世界観の慣れに拍車をかけ、ニヒリズムと哀愁が魅力的な『岡田将生』さん
・メイクのせいか、どことなく表情に常に子供のような悲しみを帯びた『新田真剣佑』さん
・『由花子』いいですねー!小道具と演技もあいまってヤベェこいつ感最高の『小松菜奈』さん
・物語序盤、"町に住む普通の人々の父"という安心感と親しみを見せてくれた『國村隼』さん

悪い面で気になってしまったのは『仗助』と『承太郎』。

『仗助』役の『山﨑賢人』さん、飄々とした部分はとても仗助らしくて素敵でしたが、キレた時の"凄み"が、もう一歩欲しかった!というのが個人的な所感です。しかしながら、パンフでは今回の演技の魅力は"クールさ"とのこと。期待する部分にややズレがあったかなぁといった感じです。

『承太郎』役の『伊勢谷友介』さんですが、顔立ちがやや渋でとても素敵!鼻も高く、目元の彫りも深く、斜めから見た顔のなんかは、あ~これはいい!と感じました。しかしながら、セリフに棒読み感が… というより、これはそもそも『承太郎』という役の難しさにもあるのかもしれないというのが個人的所感です。生憎『伊勢谷友介』さんの別作品を見たことが無かったので、別作品を見て、『伊勢谷友介』さんをより理解したいなあと思います。

最後に『康一くん』役の『神木隆之介』さん。とても有名な方ですが、今回は演技うんぬんというよりも『観客と同じ目線での解説』という役割にとても忠実でした。全体通して、ファンの方に気になるかもしれませんが『説明セリフ』が多めです。

これはクオリティが低いという問題ではなく『エンターテイメント作品』としての、三池監督の作り方なのかなと感じました。
おそらく既存ファンがターゲットである深夜アニメよりも、全国映画館の夏休み日中公開ということで、より"初めてジョジョを見る人"にターゲットの重さを置いた必然の『説明セリフ』の多さなのかなと感じました。

第二章以降はもしかしたら減ってくるのかな…?




■映画と父親
前述したの脚本の原作からの構成変更に伴い、原作より『父親』の存在感と、連続した話の中での結びつきが、より強くなってきます。父親とは『仗助の祖父』と『虹村兄弟の父親』のことです。

今回『アンジェロ』と『虹村兄弟』の話が続くおかげで、『仗助』が『祖"父"』の死を経て、『虹村兄弟の"父"親』と対面します。祖"父"を"治せなかった"仗助、父を"治せず"死なせようとする形兆、虹村兄弟の父を"治す"手助けを提案する仗助。

この仗助の"父"との向き合い。具体的に言葉に出来ませんが、治せなかったものを治そうとする仗助、『俺はジョースターではなく爺ちゃんに似た』という仗助のアイデンティティを象徴するかのようなセリフ。これは僕が原作を読んで鈍感だったからかもしれませんが、今回の映画で連続した話になったことにより、初めて気づけた嬉しい発見でした。

余談ですが『映画は父を殺すもの』という言葉があります。
それは、映画はいつの時代も、既存の価値観に疑問や新しい世代の価値をぶつけ、常に古い価値(父)を殺し、または和解し、新しい時代を築いてきたということを意味しているのかもしれません。子は父を受け入れ乗り越えて成長するもの、そんな作品が数多く存在しますが、有名どころではスターウォーズでしょうか?

本作で仗助のアーク(変化・成長)が感じられた嬉しい部分でした。原作どおりですが、仗助の活躍により虹村兄弟も、父のある真実を知って変化できたこと。さらに、今回は近いタイミングで康一くんの変化も見れたこと。これはとても素晴らしい構成だと思いました。

三池監督はパンフで『自分はジョジョが好きだ!という感情を先に出してしまうのは"エゴ"。エンターテイメント作品は面白いかどうかだ』という『商業プロの監督』として、素晴らしい言葉を残していますが、それでもなお、本作の中に『映画と父親』を発見できたことが嬉しく感じました。



■さいごに
長くなりましたが、本作の感想は以上です。漫画映画化で失敗してきた様々な作品を見て、偏見を持っていましたが、本作を見て良かったです。正直に言えば、頭をカラッポにして、100点満点サイコー!とは言えませんが、それ以上に



『エンターテイメント作品として』非常に作られ方に見応えのある作品でした!
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