阪本嘉一好子

預言者ムハンマドの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

預言者ムハンマド(2015年製作の映画)
4.6
また、三時間映画に挑戦した。ユダヤ教を紐解いてるが、モスリム教やキリスト教は関連づけやすい。これらは兄弟であるから。
この映画はMuhammad: The Messenger of God というイランの監督、マジード・マジディの作品で、彼の作品は個人的には映画の最初でアラーを賛美して作っているので好きである。なぜ、これを見たかというと、日本に住んでいるロヒンギャの生徒を教えているので、モスリム教を紐解く必要があったからだ。犠牲祭、ラマダン、ハラールなど知識としては知っていても、この宗教の成り立ち、特に、「預言者の封印」であるモハメットの生涯については知らない。それにましてこの映画は、彼が誕生する前から、7世紀のメッカから始まっている。ハバシャの王がメッカのカーバ神殿を攻撃しようとする。モハメットの祖父Abdul Muttalibアブトゥル・ムッタリブ(Alireza Shoja Nouri )はメッカのクライシュ族の一氏族( Banu Hashim)でリーダーである。(この時点でまだ、モハメットは生まれていない。)ハバシャの王に抵抗するが、決断を神に祈って助けを求める。祈りが聞かれ、その時、鳥の大群が彼の頭上を舞い始める。逐次、攻撃を始めたハバシャの王はメッカに入ることができなくなる。象はメッカに入るのを嫌い、暴れ回り、王は落ちて、象に踏み潰される。祈りが聞かれ、神がクライシュ族のリーダーであるアブトゥル・ムッタリブを守ってくれているのがわかる。

その後、モハメットの誕生を知らせる天からの光が現れる。各部族が神を偶像礼拝していたため、その偶像が倒れ陥る。アブトゥル・ムッタリブが光の元を訪ねて、靴を脱いで館に入る。そこで赤子(モハメット)が生まれて、三人の女に囲まれて面倒を見てもらっている。赤子には(モハメッド)父親がいなく、母親も、飲ませるミルクがない。それで、奴隷の女から乳を与えられる。

リーダー、アブトゥル・ムッタリブは民衆の前で赤子をだき、『モハメト』と名付けたと赤子を披露する。ある民衆がモハメッド? この名前はなに?どこからこの名前は来たのか?先祖の名前を使わなきゃ恵がないよ!誰も男の子でモハメッドなんていないよと口々に。
彼の名前は賛美されたと。Abu Talib(アブ・タリブ:アブトゥル・ムッタリブの子供でモハメットのおじに当たる)Mahdi Pakdel は叫ぶ。でも民衆は何も言わない。そして、リーダーであるアブトゥル・ムッタリブが赤子を抱えてあげて、『モハメッド』と叫ぶ。(新しく神の啓示を受けた子、目頭が暑くなるシーン)モハメッドに恵みを!!と大衆が叫ぶ。


ユダヤ教の長老であるお偉方はモハメット(未名)が誕生した時の前兆に気づき、稀有な赤子の存在を心配して赤子を追跡する。あるユダヤ教人は『この誕生の印は素晴らしいが、救い主の印ではない。』と。『ユダヤは少数民族になる。雨が降り注ぐ中、ユダヤの家族では男の子が生まれなかった。これ以上の救い主はいらない。救い主を待っていたのに、それがアラブから救い主が出たとなると?救い主が出たことは神からの約束じゃない』などと、口々に言い合う。そして『赤子に乳がなく、乳母になる人が乳をあげるから、赤子を攫え』と言ってサミュエルは女たちに金を与える。


(誰も詳しいレビューを書いていないので書き始めたが、映画が三時間もあるので疲れてきた。興味のあるシーンだけを書く。悪しからず。)


(誕生)
リーダー、アブトゥル・ムッタリブはモハメットを家族のもとを離れてベドウィンの夫婦に養わせるため田舎の砂漠に住ませる。それはユダヤ教のユダヤ人が彼を殺そうとするから。アブトゥル・ムッタリブは嫁の悲しみを理解する。モハメットは育ての母親の死を弔ってる親族が異教の偶像を母親の胸元に置いているのを取り去る。家族はこの行為に不信感が募ってるようだが、モハメットが彼の手を里親の母親の元に置くと母親は癒されて、生き返る。この噂を聞きつけたのか、癒してもらおうと、人が彼の元を訪れる。ユダヤ人の誘拐の標的になったりする。

(ヒラ山)
メッカの郊外であるヒラ山の洞窟の中で光をみる。このシーンは神秘的で幻想的で一番綺麗なシーンで、モハメットが『空気が綺麗な匂いがする』とアブトゥル・ムッタリブにいうシーンがあるが、ここがモスリム教で大切な場所になるのを匂わせている。このシーンは神の子供のようだと思う。

(子供の頃の行い)
弱者や迫害された囚人に水を与えるシーンをがあるがあきらかに、人の弱さや過ち(?)に寄り添うことができる心を持っている。それに、祖父、アブトゥル・ムッタリブの死後、奴隷を買い戻したり、羊飼いをしながら、娘を売ろうとしている父親を諭したりする。

(祖父であるアブトゥル・ムッタリブの死)
(前後するが)祖父であるアブトゥル・ムッタリブとハジをに行くシーンがあるが、そこで、祖父は倒れてしまって最期の時を迎えるが、息子Abdul khaligh(ユダヤ教に身をうって、サミュエルとグルになった裏ぎりもので、後で、モハメットの奇跡を直接みて改心する)(Rastin Soleimani) が与えるミルクを飲まず、他の息子、新しい Banu Hashimのリーダー、Abu Talib(Mahdi Pakdelーかっこいい役者だね。)を呼ぶ。そして、彼に『父もいず、母にも死なれたモハメットを自分の分身として育てよ。自分の子供のように育てよ』と。それから、『I can rest in peace. 』と言って息を引き取る。ここのシーンで裏切り者である、息子Abdul khalighだけが、宙に浮いてしまった。

(キリスト教の修道士との出会い)
それから、10代のモハメットは 商人の叔父Abu Talib(Mahdi Pakdel)と商業貿易の旅を続ける。そこで、(場所がわからないが、調べるとシリア方面にと)バヒラというキリスト教徒の修道士に会う。修道士はメッカからきた旅人たちの中に、モハメットが雲陰に隠れているのを目にする。休んでいるとまた、雲がモハメットを追って影を落とすので、モハメットに会いたくなり、使いを出して、キャラバン全員を食事に招待した。叔父Abu Talibは最初戸惑っていたが、モハメットが招待を受けた。修道士は数多くの質問をするが、その答えが、『将来の預言者』であると予測が的中したようだ。修道士はユダヤ教人の攻撃を受けるかもしれないから即刻メッカに戻るように進めた。

(奇跡)
ある貧しい海岸沿いの町、ここでも、モハメットが人を救っているところを見せる。偶像を礼拝する民族が女子供を海に犠牲・生贄として捧げることにより、生きる糧を得ようとしている。偶像が倒れるが、波がモハメットを避ける。そして、子供と女性だけでなく、村を救う。飢えた村の人のために、魚でいっぱいの津波を呼び起こす。この奇跡シーンは映画館で見れば圧巻の一つだろうと思う。なぜかというと、波の中に佇むモハメットの姿に『預言者の素質』が味わえるから。

モハメットはいつも白い衣を纏い、後ろ姿や横向きしか、我々に見せてくれない。そして、6歳ぐらいでも、静かで人を諭すような話し方をしている。モスリム教は偶像礼拝を一切しないので、我々の目にモハメット見せないように映画を作っていると思う。キリスト教のように、キリストは白人だったとか黒人のキリストもとか...くだらない論議の必要性がないからね。

私はモスリムでもなく、サウジアラビアの歴史にも詳しいわけではない。でも、マジード・マジディ監督の映画は九分九厘みている。彼はイスラム教であるし、神の救いをいつも見せてくれる。撮影当時のイランの政府の宗教の方針はよく理解して、この作品を作っていると思う(バイアスがあるかもね)。私のような一般人にとって、バイアスより登場人物が多く、混乱してしまった。特に女性の役者の存在が。後半からはわかりやすくなり、モハメットの神秘さと広大な景色に心を奪われた。

映画:
https://www.youtube.com/watch?v=ANizlEex3Ao