改名した三島こねこ

ロニートとエスティ 彼女たちの選択の改名した三島こねこのレビュー・感想・評価

3.6
「あなたは自由だ」

LGBTQに関する議論は近年盛んに行われている。本作もそうした同性愛を問題としたいのかと予想していたが、そんな一面的な話ではなかった。

この作品はこうだと断言するのは慎重にならねばならぬので一解釈に留めておくのだが、本作はそもそも同性愛等の選択を可能にする人間の自由意志自体が主題にあるように思われる。

ロニートは自由意志の象徴として劇中描かれる。ユダヤ教という宗教で密接に結合した社会は完成されているがゆえに、ロニートの自由意志を異物として拒絶する。実家というロニートに密接な存在すらも彼女には門戸を閉ざし、一方でコミュニティの構成物であるエスティにはたとえ他人であってもその鍵を開いた。

コミュニティの構成物とされるキャラクターには徹底して自由意志や個性というものが見えず、ロニートという個性の光に照らされてのみその人物の内面的な描写が為される。エスティの伴侶のドヴィッドですらその例外ではない。彼は社会的な夫婦の幸福は語っても、個人の感情による夫婦の愛については黙秘を貫いていた。

こうした個人の意思による価値を徹底的に排斥する、コミュニティが放つ静寂は意を締め付けるものがある。社会的価値観でしか生きられない人々の善意による無音の拒絶は、生理的嫌悪感すら覚えるほどだ。そこにはただの漠然とした虚飾があり、真に価値のあるものはなにもありはしない。

性愛を通して神聖なものが見えるというのはドヴィッドの持論だ。しかし皮肉なことにロニートとエスティの褥のみが描写されることで、ドヴィッドとエスティの合間には価値のあるものが存在しないことが証明されてしまった。

彼の愛といえるものが明示されたのは自由に目覚めたあの瞬間であり、そこで初めて三人の個人が物語に登板を果たしたのだ。このシーンは"たち"という言葉のふくみを見事に利用している。

ラストの展開には賛否両論となるだろうが、エスティはそれまで発言した事柄にはなんら矛盾しない選択をしており、エスティの物語としてはあれでパーフェクトなのだ。