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軍旗はためく下にの教授のレビュー・感想・評価

軍旗はためく下に(1972年製作の映画)
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日本の〈戦中派〉である映画監督たちの作品群はいつも興味深い。
戦時中の体験を「武勇伝」として語ることは少ない。
それは戦後「言えなくなった」とも言えるし、しかし、それでも深い傷を得るほどに「最低最悪な記憶」としてこそ刻まれているのだろうと思う。
青春期に戦争を体験した世代にとっては特に。

そして「戦後」の日本は経済的には繁栄し、戦前とはまるで変わってしまってもいる。
その変わり身の早さに対しても同様。深く傷ついて、大切な人たちが死んでしまったその「戦争」とはまた別の意味で変わっていく「日本」への違和感と嫌悪が作品に表れている。

本作は、その深作欣二監督による「戦後」への眼差しと、戦争そのものへの怒り。
「戦争」というドサクサが引き起こす私的制裁。「軍規」の名の下に下級兵士たちの「敵」は米兵ではなく、自国の上官や、国家そのものになっていく。

歴史の事実として「戦争」が始まり、またその都合で「終戦」を迎えたとしても、「上」の言い分だけが変わり、後始末を押し付けられる。

飢えに苦しみ、人を殺し、逃げ場のない異国のジャングルの中で、徹底的に人間としての尊厳を奪われる。
奪う側は「権力」を傘に着て「大義」を掲げて圧迫してくる。

しかし、それは「戦時」だけではない。
戦争が終わって何十年と経過しても。
本作で描かれる当時も、コロナ禍の現在でも本質的には何も変わっていない。
見たくないものは見ず、忘れたいことは簡単に忘れて、何事もなかったように日々を暮らすことを第一に考えてしまう。

主人公となる妻・サキエ(左幸子)の、当時、誰にでも当てはまるような夫婦の姿、限られた時間の中で恋を育み、戦争によって引き裂かれた女の情念が真相を突き止めていく。
「なぜ、夫は死なねばならなかったのか?」

決して映画としても、描き方としてもスマートではないが、ひとりの女性の情念が、国家や、戦争を、そしてその戦争を忘れてしまおうとする日本人をしっかりと突きつけていく。
「戦争」を忘れてはいけないの理由は。
少なくとも、日本という国に関しては、都合の悪いものは見なくなるし、平然を嘘をつくし、綺麗事をちらつかせては殺しにくるし、おためごかしの詭弁で平気で丸め込もうとしてくる、ということ。
「美しい国」を標榜していたとしても、その美しさは側面として存在しているとしても。
厳然と、この国特有の醜さは存在し、なかったことには出来ないからである。
それを本作は突きつけてくる。
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