かなり悪いオヤジ

テオレマのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

テオレマ(1968年製作の映画)
3.5
イタリア映画界の異端児パゾリーニが、同性愛者かつ共産主義者であったことはよく知られている。つまり、巨匠ルキノ・ヴィスコンティと属性はおんなじ、ということになる。最近観たフランス映画『セントメール』の中で、パゾリーニの『王女メディア』が一部抜粋されて使われていたのだが、パゾリーニにオマージュを捧げていたのかと問われるといまいち?なのである。むしろその異端性に注目した演出かに思われるのである。

本作には、突然現れた神(テレンス・スタンプ)に去られた後、ミラノの工場を経営するブルジョア一家が崩壊する様が描かれているのだが、ベースには貴族出身のファシストだった実父に対する反発があるような気がする。「誰かの真似と悟られないよう工夫しなければ」、前衛アート制作に没頭する長男のこの台詞、監督としての経験の少なさを危惧したパゾリーニ自身の心の声ではなかったか。

突然の“訪問者”によって、偽りの虚栄心や所有欲に浸っていたブルジョア一家は、神の愛によって一時的に満たされる。平和な静けさを突如として引っ掻き回しに老教授の元にやって来るヴィスコンティ監督『家族の肖像』(74)のブルジョア一家とは対照的だ。が、家長の嫁さんを同じ女優シルバーナ・マンガーノが演じていたのは、果たしてまったくの偶然といえるのだろうか。私は妄想する。『テオレマ』(68)を観たヴィスコンティが、パゾリーニの創作した素材を再構築して撮り直した映画が『家族の肖像』ではなかったのだろうか、と。

神去りし後の虚無感を満たすため、若い男を次から次へとナンパしまくるルチア(『テオレマ』)。に対し、ファシストの夫がいるビアンカ(『家族の肖像』)は、教授のアパルトに左翼の愛人(ヘルムート・バーガー)を連れて颯爽と現れるのである。さらに、ゲイでもあったパゾリーニ、本作の中でテレンス・スタンプの“股間”をやたらと強調するカットを多用しているのだ。まるで“神”が股間に宿っているかのような品のない演出で、イタリアン・マチズモをおちょくり倒しているのである。

ブルジョア一家をいわゆる“資本主義”(一家離散vs内輪揉)のメタファーとして描いた点では同じだが、「家族のが立てる騒音」ぐらいに思えば腹も立たないと老教授に語らせたヴィスコンティの余裕勝ち、のように思えるのである。史実をねじ曲げた資本主義批判映画が、実際ファシストたちの恨みを買って殺されたと伝えられるパゾリーニ。彼がなぜ“異端児”にとどまり“巨匠”と呼ばれるのことがなかったのか。その理由がパゾリーニの器の小ささにあることが、何となく伝わってくる1本なのである。