天豆てんまめ

火花の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

火花(2017年製作の映画)
3.8
夢と成功。現実と挫折。1:9、いや1:99の割合で、時にほろ苦く、ほとんどは痛々しい10年の芸人生活を魅せてくれる。菅田将暉も桐谷健太も木村文乃も良かった。だけど、2丁拳銃の川谷のリアルな表情が光った。ラストの2人の漫才は、ドキュメンタリーのようで、菅田将暉の渾身の演技をただただ放心のまま受け止める川谷の表情が心に残る。最近映画で観たことの無いようなリアルな表情だった。

成功って何だろう。成功し続けるって何だろう。M1グランプリを観た翌日に「火花」を観たことで、成功の瞬間の眩い光の影に隠れた4000人以上の芸人の過酷な日常が優しく、描かれていたのが印象深い。板尾創路が監督であるからこそ、その眼差しは鋭く、そして温かい。M1グランプリでは優勝したとろサーモンより準優勝の和牛の2人の表情を見続けてしまったが、、、それ以上に画面にも映らず、TVで彼らの姿を観ている何千、何万人の芸人を思い浮かべた。

映画「火花」は後半のシークエンスが素晴らしい。格闘の10年の果てに、芸人を続けている者、芸人を辞めた者との邂逅が心に響く。別世界の人間に自分はなったと思っている後者に、前者が「続いていること」を諭すシーンがとてつもなく優しい。

一部の成功者だけをもてはやす風潮はいつの時代でもあったけれど、最近は余計甚だしく、そして、その成功者という概念もまた、移ろいやすく、脆い。成功も一瞬の花火。人生も一瞬の花火。そして人生の大部分は社会に成功というレッテル貼られた者であろうと、そうでなかろうと、普通の営みをただ必死に生きている。

私も夢という虚像を追いかける99の不安と1の幻想で生きる日常を少し体験したことがある。私は28の時、勤めていた会社を辞めて、夢を追う為に専門学生に戻った。スクリーンの向こう側の世界に行きたかった。貯金を全て切り崩して、保険全てを解約して、生活費に充て、新婚時に住んでいた月20万近い吉祥寺(「火花」の舞台で懐かしい風景が沢山あった)のマンションから、月5万の築40年の川崎のアパートに越した。長男が生まれて4か月の時だった。彼が初めて立ったのは、ハゲかけた畳の上だった。あの時、私の愚行を許した妻のことを今思うと不思議で仕方ないが心から感謝している、、今はただ恩返しをしたいと思っている。

それから3年後、全財産は最早尽き、もうこれまでと思った時に、数十年ぶりにプロデューサーを募集していた大手映画会社の告知を山手線のつり革で見つけた。採用1名のみ。1000名を超す応募者。締め切り前日に、無理もとで履歴書を送った。半年後、夢の景色は現実の日常となっていた。スクリーンの向こう側の世界には、その世界で日常を送る普通の人たちが生き、憧れの俳優が普通に隣にいて、等身大で悩みを語っている。幻想と現実の地続き感。絶え間なく続く喧騒と狂騒の日々。そして、長い月日が流れ、私はそこから離れた。

それもまた、人生の一部。その後も様々なことがあった。でも、過去完了形で人生を語ることに意味はない。なぜなら、まだ人生は続いているからだ。わかりやすい成功という名の火花は消えても、心の中でちらちら燃え続ける火花は自分以外、一生消すことはできない。自分の人生の完成形は、死ぬ時に、完成していればいい。

映画「火花」は、夢の果てに、仄かにチラつく優しい予感に満ちている。