このレビューはネタバレを含みます
過激な発言によりカンヌ国際映画祭から追放処分を受けたトリアーが、7年ぶりにカンヌ復帰を果たすも途中退場者が続出し、賛否真っ二つに分かれたという問題作。
「話してみたまえ。ここに来た人間はどうせ話さずにはいられない」
その言葉で殺人鬼の12年間が語られていくのだが、ジャックと老人の対話が「どこで誰と」されているのか明かされないまま進行する。その声は殺人鬼の独白でもあり、ナレーション的な役割にも思える。サイコパスを描いた作品は内面描写が少なく、何を考えているのか分からない所が怖ろしいのだが、ジャックはとにかく自分を語る。
街灯の下を歩く影で快楽と苦痛を説明したり、羊と虎の詩を引っ張り出したり、ブドウの腐敗を例に出したり。こんなに自分を語る殺人鬼は他にいるだろうか。しかし、潔癖症で強迫性障害を患ったシリアルキラーの言葉なんて所詮理解出来ない。自分は「こちら側」の人間だとラインを引いているから到底理解出来ない。建築家になれない男が芸術家ぶって御託を並べてるだけだと思っていたが、なんかね、妙に生々しいんだよね。映画に登場する殺人鬼というより、衝動的に殺人を繰り返す男にカメラが密着しているようで、ほんの薄っすらと「あちら側」に触れた気分になった。
子供を殺したり乳房財布を作ったり、倫理感ゼロのドン引き映像が脳裏に焼き付く。きっと10年後も覚えているんだろうな…。そんな過激映像の連続に不快感を覚えたが、時折妙な滑稽味も覚えた。ジャックをなかなか家に入れず、あからさまに疑う女性の目や、その女性の血痕が気になって何度も現場に戻るシーンは思わず笑った。
奪ったパトカーのサイレンも切らずに放置する終盤で、なぜ急に雑になったんだ?見つかるだろう、と疑問に思ったが、考えてみれば最初から何もかもが雑だった。一緒にいる所を人に見られたり、警官と話したり、車で死体を引きずったり。幼少期の隠れんぼで、見つかりやすい草むらに隠れたジャックに「捕まりたい欲望」があったと語られているが、その欲望が罪の清算なら犯行の雑さも納得。しかし、雑さが目立ってきた時、自分の中で膨らんでいた期待に気付きゾッとした。
観たいと思っていた。そう、期待していたんだ。フルメタル・ジャケット弾の貫通を、ジャックが立てる死体の家を…。そんな自分は「こちら側」の人間なのか?こりゃ参った。
胸クソ悪い殺人の中にブラックユーモアを含ませ、救いなき凶行の果てにトリアーが用意した「落とし所」は流石。老人との対話が現在の獄中だったら、残忍な虎は檻の中だったらガッカリだった。ドラクロワの絵画を挿入する所なんて見事だね。「ダンテの小舟」を調べると構図が反転している点が気になった。写真のネガの反転、光と影の反転が関係しているのか?そりゃあそうなるわな、という文字通りの「落とし所」だった。