えんさん

50年後のボクたちはのえんさんのレビュー・感想・評価

50年後のボクたちは(2016年製作の映画)
5.0

家庭環境に恵まれず、クラスからもはみ出した14歳のマイク。大好きな母親はアル中、父親はそんな母を放置して愛人と浮気中。同級生のタチアナにはゾッコンだけど、変人扱いされているクラスの中で人気者の彼女の目にすら映っていない存在だった。ある日、同じクラスに遠いロシアから転校生がやって来る。チックと名乗るその少年は目つきは鋭く、変な髪型をしていて、マイクとともにクラスのはみ出し者になろうとしていた。そんな中訪れた夏休み、母親はアル中の更生施設に入り、父親は出張と称して愛人と旅に出てしまった。1人残されたマイクのもとにやってきたのは、チックだった。彼に誘われ、盗んだ車で旅に出ることになるが。。26カ国で出版されるベストセラー小説『14歳、ぼくらの疾走』を、「消えた声が、その名を呼ぶ」のファティ・アキンが映画化した作品。

皆さんは親友というとどういう存在を指すだろうか? 無論、関西風にいうと”ツレ”みたく、学生ならいつも一緒にいて、放課後コンビニにたむろしたり、社会人なら仕事帰りに一杯付き合う友人で、結婚式にも同席してくれ、家族ができたら休日にBBQにいくような友達もあるでしょう。でも、長年会っていなくても、偶然会ったときにすぐ打ち解けられるような人。頻繁に会えるような存在でなくても、10〜20年、そして本作のタイトルのように50年くらいのサイクルで互いにどういう人になったか確かめたい人。そういう存在の人でも親友なのではないかと本作を観てふと思いました。

ちょっと映画を離れますが、僕にも小学校の頃に出会ったK君がまさにそんな人で、小学生ながらもオタクっぽくて、それこそマイクのようなはみ出し者だった僕(家庭は崩壊してないけど笑)に対して、K君は勉強はまあまあできるほうだったけど、運動神経が抜群でクラスの人気者的な存在でした。校区も僕が住んでいるところから正反対だったし、学校では正直あまり話してなかったけど、母親同士が偶然仲良くて、よくK君の家には母親について遊びに行っていました。学校では仲良しグループも違ったので、周りからは仲良いとは思われなかったろうけど、1対1になったときに違うグループだからこそ話すことがいっぱいあって、今から思っても不思議な関係でした。中学以降はK君の家にも行くことはなくなったので、(クラスも一緒にならなかったし)自然と関係は消滅したけど、18歳位の時に偶然地元の自動車学校で一緒になることがあって、その教習待ちの間も1時間位ずっと互いのことを喋っていた気がします。今は全く音沙汰を知らないので、生きているか死んでいるかも分かりませんが、K君は自分の真逆という意味でも今でも特別な存在で、また1対1で飲みにでも行きたいなと思います。

というように(笑)、本作では真逆ながらも、同じクラスのはみ出し者同士がひと夏の旅に出るロードムービーとなっています。同じドイツ人ながらも、欧米系のマイク、アジア系のチック、そして監督は中東のトルコ系という多民族なエスニックな雰囲気もいいし、映画ということで特段綺麗な演出をせず、わざとどこか汚らしい身なりをさせたり、ゴミを漁ったりするシーンなども妙なリアル感があり、物語を凄く身近なものにさせている効果があります。それに主人公マイクが抱える弱さを打ち破ってくれるチック、そして途中から合流するヒロイン、イザのそれぞれにも弱い部分があり、強がりの中に人に寄り添いたい思いを抱えていることを描いているのが素晴らしいのです。青春というのは自由に弾けながらも、人として弱いところを認識し、その弱さを仲間の存在で強くしていく行為なのかもしれません。そうやって一緒に弱いところを認めてくれる存在、それが今は心の中の存在になろうとも、その彼ら彼女らは親友なのかもしれません。

あと、一緒に旅に出ることになる盗難車、ロシア製の「ラーダ」という車だそうですが、こういうクラシカルな小型SUV好きですね。ロシア車って、故障が多そうですが、ちょっと欲しいと思ってしまいました。