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サドのための絶叫
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『サドのための絶叫』に投稿された感想・評価

CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

2.5
【ささやく白画面、だまる黒画面または、いにしえのASMR動画】
デレク・ジャーマンが放った全編青画面映画『BLUE ブルー』は有名だが、全編白画面、黒画面で構成された作品をご存知だろうか?フランス思想家ギー・ドゥボールが1952年に発表したデビュー作『サドのための絶叫』だ。観てみたので感想を書いていく。

悪魔のような囁きが白画面の中から響き渡る。 断片的な呟き、語りが垂れ流される。突然黒画面になると、そこには静寂がある。本作は語りが載せられた白画面パートと、沈黙ある黒画面パートに分かれている。そして、段々と黒画面パートの長さが延長されていき、最終的に24分もの沈黙が支配する。映画が持つ視覚的快感を奪いに来ることで、映画とは何かを思索する作品である。沈黙といえば、ジョン・ケージが「4分33秒」で会場がもたらす一回性の音に注目していたが、『サドのための絶叫』を自宅で観ると、沈黙パートは虚無と化す。故に、映画としては全く面白くないのだが、睡眠導入剤としてのYouTube動画の文化を考える際のヒントとなる。自分は昔から、サンドウィッチマンのコントを子守唄代わりに使っていたのだが、このような使い方は文化として確立されていた。

VTuberがASMR動画を多数アップしており、物述有栖は5時間に渡って、心音だけを聞かせるアンディ・ウォーホル『SLEEP』のリメイクに近い作品を発表し、10万再生近くされている。確かに、この手のASMR動画は、キャラクターの画があったりするのだが、実際は睡眠導入剤として使われるため、画を観続けることはない。声や音により脳内にヴィジョンが生まれることが重要だろう。それは『BLUE ブルー』で演出された技法が大衆化されたと言えるのではないだろうか?では、もしASMR動画に画はいらないのだろうか?恐らく、それは違うと思う。朧げに目を覚ますと、そこに推しのキャラクターがいるという状況が重要なのだ。

ギー・ドゥボールは1952年に映像から視覚的快感を奪って、映像と人との関係を模索した。アンディ・ウォーホルは1964年に『SLEEP』で寝る人を5時間に渡り映し続け映像の可能性を見出そうとした。デレク・ジャーマンは1993年に発表した『BLUE ブルー』で、死にゆく自分の走馬灯を青画面の上に語りを載せ、観る者の脳内に浮かび上がらせた。2020年代は、脳内にヴィジョンを浮かび上がらせつつ、画に目を向ければ推しがいる空間としてこれらの実験映画の応用例が提示され、親しまれていると思うと、ギー・ドゥボールもアンディ・ウォーホルもデレク・ジャーマンもびっくりだろう。

未来に行ったら、あまりにも発展しすぎて困惑する構図を未来からの目線で見つめることができる例の一つであった。

P.S.個人的にASMR動画だと「【ASMR/DummyHead】世界に1つだけのダミヘで甘々Valentine🍫whispering binaural【物述有栖】【にじさんじ】」が強烈で定期的に聴きます。イヤホンしながら聴くと、あまりのファム・ファタール性に気絶しかけるのですが、即興的に独自の世界観を作り出すトークセンスが素晴らしいと思います。

・2020年代の『SLEEP』↓
https://www.youtube.com/watch?v=rXaxeayoXzc&list=PLT4Tw6XwV72jieJtrTD4XDsLK9TOlA6Iv&index=6

・個人的に好きなASMR動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=zWiCe1sNdEc&list=PLT4Tw6XwV72jieJtrTD4XDsLK9TOlA6Iv&index=1
語りが入る白画面と、静寂が永遠と続く黒画面が交互に入れ替わる。
最初は白画面から始まり、意味の無い会話が続いていたが突然黒画面が挟まり、無音の状態が数分間続く。数分経つと再び白画面に戻るが、しばらくするとまた黒画面になる。次第に白画面は短くなっていき、いつしか黒画面は20分以上占めるようになる...

まさにアヴァンギャルドな実験映画。画面は白と黒のみ。そして、映画の殆どが黒画面の無音状態。
まあこれは映画館で味わうものであって、決して家の中で一人で観るようなものじゃないんだろうな...と思った。秒数スキップはできず、20分以上ずっと虚無を観て過ごす体験を大人数で共有できる映画館で観れたなら感じ方も違っただろうけど、家で観てもただただ退屈な映画だったな...としか思えない。

一番最初の唸り(?)は少しにじさんじライバーの樋口楓のASMRを想起させた。もしこの映画がASMRの先取りだと言うのなら、樋口楓こそASMRの原点を見事に再現していたのではないだろうか...んな訳無いか。
飯

飯の感想・評価

-
いま、ここ、一回だけの絶叫。初上映当時の64分間内に生きていた作品。今私たちが観ているのはただの複製された残骸にすぎないだろう。
今のあらゆる上映はこの反映画の映画化、反スペクタクルのスペクタクル化であるーー『サドのための絶叫』は1952年のシャイヨ宮上映以降もう存在しない。

映写機のストライキ。視覚中心主義への対抗。”盲目”な映像。映写空間がバフチン式のヘテログロシア・カーニバルに“退化”し、よって集中力が崩れてしまい、身体の共感覚がよみがえる。

映画は死んだ。とギー・ドゥボールが言った。そして映画の死後はーー“like lost children we live our unfinished adventures.”