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この世に私の居場所なんてないのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.3
 彼女は一人暮らしの部屋のベランダで瓶ビールを飲みながら、空を眺めていた。孤独に吸い込まれるような真っ黒な空を眺めていたら、無性に寂しさが込み上げて来る。カリフォルニアで看護助手として勤めるルース(メラニー・リンスキー)は、余命いくばくもない患者の愚痴を疲れた表情で聞き流す。何とも投げやりで疲れた日常はこれからも永遠に続くかに見えたが、そんなある日、自宅に空き巣が入り、パソコンや亡き祖母の銀食器と抗うつ剤を盗まれてしまう。すぐに警察に事件を通報するが、一応受理されたもののほとんど何も取り合ってくれない。人も殺されていない大きくない事件など警察にとっては日常茶飯事なのだ。全てに自暴自棄となる彼女は中でも祖母の銀食器が失われたことに傷ついていた。その日は隣人の部屋に泊まり、翌朝部屋に戻ると、家の前に大きな糞が落ちていた。嫌がらせじゃないかと思ったルースはすぐに、近所で犬を飼っているトニー(イライジャ・ウッド)の仕業だと確信し、彼に糞を投げつけるのだった。勝手口のカギを付け替えた彼女は犯人を絶対に許さないと誓った。だが1人では心許ない彼女は、先ほど不快な思いにさせられたトニーに真実を話し、2人で犯人探しを始めることになった。

 コミュ障をこじらせただろうトニーは近寄りがたい雰囲気を醸し出すが、ルースの話を聞いて急に粗暴な様子を見せるなど、怒りのON/OFFのスイッチが微妙にわからない。『この世に私の居場所なんてない』というタイトルを額面通りに受け取るならば、孤独をこじらせたルースとトニーのボーイ・ミーツ・ガールな物語かと思いきや、後半は心底驚くような展開を見せ始めるのだ。例えばハーモニー・コリンの『ガンモ』などに見られた世代から少し歳を取り過ぎた孤独で最下層のホワイト・トラッシュの緩やかな連帯は単なる痛みの共有という範疇を越え、虐げられた弱者の声を叫びにも悲鳴にも倍増させる。その結果、暴力の彼岸に巻き込まれた孤独を抱えた男と女は(決して少年と少女ではない)、他者を意識した途端にその粗暴さに拍車がかかる。終盤はいかにもサンダンス映画祭あたりで上映されそうな脚本の転調が起きるが、ここまで冷静に丁寧に積み上げて来た生き辛さの描写との落差があり過ぎて、私は今一つ乗れなかった。フレームを度外視した悲壮感漂うアクションは一度もカタルシスを感じさせないまま、登場人物たちは次々に流れ弾の餌食となる。飄々としながらもヒロインを助けるトニーを演じたイライジャ・ウッドがすこぶる良いが、配信映画と言うのは路頭に迷いそうな役者たちにチャンスを与える側面もある。
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