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南瓜とマヨネーズのeyeのネタバレレビュー・内容・結末

南瓜とマヨネーズ(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

"南瓜とマヨネーズ"(2017)

魚喃氏の映画化シリーズの第3弾
氏の自叙伝とも呼ばれる作品

時々、氏の新作がなぜ出ないか
悶々とすることがあって

自分なりに答えはあるんだけど
ここでは全く関係ないですね

話は戻り、、、

この"南瓜とマヨネーズ"
という題名

魚喃氏がパンフレット内で

"慎ましやかな生活"

ということを意味していて

>台所で女がちまちました食材で料理してる

と語ってる

つまり生活感を
全面に引き合いに出してる

2人のシーンでは
台所や風呂場も重要なキーポイント

映画は今の恋人・昔の恋人に揺れる心情を描いてるわけだけど

映画のセリフにある

"ありふれた平凡はホントは壊れやすくて失くさないことは奇跡"

これ以上ないくらい
この言葉に集約されてる

ホントは日常は輝いてるはずが
日々の流れの中で
当たり前が遠ざかっていく

ツチダの心には埋まらない
"隙間があること"

せいいちには埋まらない
"音楽に対する葛藤があること"

諸々ダイレクトに伝わってくる

不器用な2人のすれ違いから
感情的になるシーンは
関係崩壊の途中なわけだけど

愛するがゆえにすれ違うから
ジワジワ胸に突き刺さってくる

正解なんかないから余計に効いてくる

ありふれた日常の中で
ツチダが一番望んでいた

"せいちゃんの歌が聴きたい"

それは突然のご褒美のように
叶えられる瞬間が訪れる

そして泣き笑いのあとに

ツチダとせいいちは
別々の道を歩み始める

映画は

上手く行っている時期や
上手く行かない時期があって

行ったり来たりしつつも
2人の時の流れを映し続ける

まるで自分のことのように
思い出してしまうと思う

少し輝いても見えるし
美化してしまう

だからこそ自分も前を見て
今の瞬間を見失わないことへの
大切さを感じられる

日常の中に非日常がある
その逆も然り

そういう部分を常に感じて

"今を生きること"を教えてくれる

"笑っていける"ようにもなれる

"幸せ"も教えてくれる
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