エクストリームマン

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1のエクストリームマンのレビュー・感想・評価

2.3
はじまりは、いつも月曜日。

予算の制約なのか、TVシリーズの素材をリミックスせざるを得ない系劇場アニメ映画が昨今多い中で、昨年公開された『ゼーガペインADP』はかなり頑張っていたというか、有り物の素材を変奏する形でTVシリーズの前日譚を語るというアクロバットをよくもまぁこなしていたなと、本作鑑賞後に改めて思った次第。TVシリーズはその尺に合わせて作られた物語なのだから、基本的に2時間とか90分の映画尺に収めて収まりの良いものになるはずもないので、基本的にこの作り方を選択した時点で新規の客を切り捨てつつ、元のファンも得をしない、逆張りマンに「俺は嫌いじゃない」と言われるためだけに作られたようなものが出てくることは運命づけられてい。

そういう意味で本作も特に例外ではなく、メカを描くアニメーターのために作られたらしい新規に作られた冒頭部分はアドロック・サーストンの独演会なわけだけど、しかしTVシリーズでは写真の中の寡黙な英雄であった彼がシリーズの語り手になるわけでもなく(エウレカセブンはレントンとエウレカの、あるいは少年と少女の物語なのだから、当たり前といえば当たり前)、冒頭以外の部分の殆どでレントンのモノローグ独演会が開催されていた。TVシリーズをコンバートした強烈な歪みとして、TVシリーズ前半でレントンがモノローグから語りかけていた姉のダイアン、そして祖父のアクセル・サーストンがオミットされた(演じていた青野武が亡くなった、とはいえ)ことで、ただでさえ全く地に足つかない編集を助けるどころか、フラグメント化を加速させていたように思う。

キャラクターの設定変更に関しても、微妙に変えるのではなくて、ぜんぜん違うものにしてしまえばいいのに……というのは、以前の映画(『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』)でやった、ということなのかな。本作を初見で観たらどれほど意味がわからないのか、体験してみたくはある。

結局、物語をリニア風にアレンジするため、チャールズ&レイ・ビームス夫妻が異様なほどフィーチャーされ(彼らは大好きなのだけど…)、エウレカもホランドも、ゲッコーステイトのメンバーも皆あまりに影が薄かった。閉じたファンムービーを作るなら、せめてファンには優しい、面白いものを作っていただきたい。

さぁ、次はどうなる。