彼は何かしらのメタファーなのかもしれないな、と思いました。
どんなマイノリティの人々が観ても、傷付く必要がないと言いますか。
彼がもしもっと現実的で、具体的な存在だと、
"自分達はこんな風に虐げられるべき存在なのか...?"と、傷つく人々が出てきてしまいそうですしね。
あとは、
彼を観て、
ありとあらゆるマイノリティの立場の人々が
もし自分自身と重ねて捉えた場合に、
彼という存在があまりにも非現実的であるあまりに、自分よりも更に不遇な立場というものがこの世には存在し得るのだと、
どこか、ほのかな安心感というか、
言い換えると救済されたかのような心境に陥ることが叶うといいますか、、、
そういう存在であってもらうために、敢えてあそこまで非現実的な生態を当てがったのかな、、と。
あ、うまく伝わってますでしょうかね、、、?
全然伝わりませんよね、スミマセン😅💦
何にせよ、
傍目にはどんなに不遇そうに見えたり、
障壁が高そうに見えても、
本人が、或いは本人達が真に幸せを実感出来ているならば、
外野はとやかく言うべきではないのだと、改めて思うに至りました。