あるバナナ

ボヘミアン・ラプソディのあるバナナのレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
3.3
【乱文です】
演出とラミマレックの演技がすごい。
孤独の表現。
最初は自信満々に歌を披露してボーカルに選ばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していたフレディが、メアリーと婚約したあとから影を見せ始める。
ラミマレックの、堂々としているようで、どこか周りの様子を伺っているみたいな不安気な表情。

カメラの構図も、フレディ1人と他のバンドメンバー3人って感じに別れて写すものが増えたように思う。

ディスコの曲をやるやらないのくだり、フレディが挑発するような感じでドラムと対立してたのは、寂しい故にわざといじわるしちゃうみたいな感じがした。

それでも、最後のライブシーンでは、カメラはバンドメンバーを一緒に写していたし、頻繁にライブの俯瞰風景や客席の寄りも撮られていた。

もうフレディ、1人じゃないなって思った。

バンドとしての活躍、罪への禊、父親との関係、恋愛の落ち着け方、そして個人としての生き様。
その全てが集約されたライブエイドのシーンは正しくクライマックス。
(お父さんが報われたことが一番嬉しい。)
(それとwe will rock youは絶対やると思ってた。客席と一体になる、孤独じゃなくなる曲だし。)

改めて思うと、作中を彩る音楽がクイーンの楽曲とフレディの歌声って豪華すぎる。
フレディの声って、迫力がありつつどこか心地よいからずっと聞いていられる。

ジムハットンと恋仲になった理由はよく分かんなかった。
でもそれはきっと仕様がないことなんだろう。
きっとジムとの恋愛は、特に伏線とかなく突発的に実際に起こった、でも重要な出来事だから。
史実をなぞる、伝記的作品特有のこととして納得できる。

ポールはともかく、元マネージャーのリードさん、まじで不憫。

実在の人物とはいえ、もうちょいバンドメンバーのキャラ、強く立てられたんじゃないかな。
バンド再結成するときに、「ソロ活動のメンバーはドラムの反発も、ベースの無反応もなくて言いなりで・・・」みたいなセリフをフレディが言ってたけど、それを聞いたときに、「確かに言われてみればそんな感じだったかも。脚本家はバンドメンバーをそういうキャラとして描きたかったんだな」ってそこで再確認した感じだった。言われるまでもなくそう感じられるように描いて欲しい。

ボヘミアンラプソディ作るときのライブ感よかった。やっぱ創作にライブ感って大事なんだな。

最初に設定する目標はなるべく高い方が最終的にできるものは良くなるんだなあ。
フレディの日本ツアーじゃ足りない宣言しかり、ライブエイドの募金目標額しかり。
ライブエイド、100万ポンドの募金をネット募金できない状態で達成したのヤバすぎる。

今やってる仕事が自分が死ぬ前にできる最大の世間への投石だと思うとやる気がみなぎってくるよな。フレディの姿を見て、そんな気分になりました。

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見終わった今になっても、フレディという人物をいまいち掴めた気がしない。
寂しがりなのに安定を求めないのはなぜ?
独りよがりなのに、他人を喜ばせるエンターテイナーなの?
序盤~中盤において、メアリーの存在もバンドメンバーの存在も、フレディの孤独を癒せてはいなかった。何故だろうか。

・・・って書いてるうちに、ちょっと分かった気がする。

ゲイという秘密を抱えていたからかもしれない。秘密があるままでは、フレディの言う家族の関係にはなれない。

序盤~中盤のフレディが「家族」とか「婚約」とかを表に出しつつ、どこかよそよそしかったのも、家族を求めているのにありのままの自分になれないジレンマがあったからと説明がつく。
(でも、序盤はフレディにゲイ描写なんてなかったし、彼が最初に感じていたやりようのない焦燥感をみたいなものを説明出来てないかも。っていうかゲイであることをフレディの不安の核とするなら、もっと序盤にその伏線を張っているんじゃないかとも思う。)

それはともかく、AIDSのことを告白したのはバンドメンバーが本当に精神的な家族になったからで、フレディの変化なのだろう。

「孤独」と「家族」がキーワードな作品だと思う。
でも、それらが結局フレディにとってどういうものなのかは、ハッキリとは分からなかった。
上の説で考えると、在り来たりだけど「家族=秘密を持たず、気のおけない存在」となる。
合ってるかは分からない。
また何回か見たら、分かるかなあ。
あるバナナ

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