あるバナナ

君たちはどう生きるかのあるバナナのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.0
2023/7/23鑑賞

一体どういうことなんや。
だけどもとにかく見応えがあった。

石って何?
おじさんの世界って何? 死後の魂の世界? 積み木で眞人が継ぐって何?
夏子はなぜそこで出産しようとしていた?
夏子も行きたかったわけじゃない。やむを得ない事情があった?
あるいは、出産のために塔へ入った訳ではなく、姉の遺した眞人に傷を負わせてしまった負い目や、生まれてくる子を育てられるのだろうかという悩みから非現実へ逃げた?

眞人が喋る青鷺に驚かなかったのは何故?
青鷺は大叔父によって塔の世界へ連れ込まれて、喋るおじさんみたいになった? 何のため? なぜ青鷺だけ、他の鳥と違って繁殖していない?
青鷺の象徴するもの。「自己による決断」「復活」「吉兆」
自己実現?

インコやペリカンは何のメタファー?
戦時中が舞台となった理由は?
あとポスターの青鷺はカッコいいのに映画の中だとキモすぎでしょ!

大枠としては、幻想や理想の世界に浸らずに、現実を生きていこうねってこと?

大叔父は本を開きながら失踪した。本とはつまり、空想を象徴するものだから、大叔父は空想の世界へ入り込んだということか。
塔の世界がイマジナリーなものであるのな確かだが、同時に「死」を象徴しているものだという解釈はしてしまって問題ないのだろうか。

眞人は夏子を母と認めていない。夏子=父が好きな人。亡くなった母を夢に見て、寂寥感を覚えている。
→眞人が何かしらの繋がりを見出だす物語?(終盤で夏子を母と呼び、死後の世界?を継ぐことを拒否した。)

眞人が自分の頭を石で殴ったのは何故か。

夏子は子供ができたのを喜んでいた。ではなぜ、素直に現実で生もうとしなかったのか。現実への絶望? 姉を亡くしたことや、継子の眞人が懐かないことが原因?

映像表現が本当にすごい
特に火事の病院へ向かうところ、圧巻。

ひみがインコに運ばれるシーンは、どこか『ミノタウロスの皿』を彷彿とさせた、

この映画を咀嚼できるようになるのが自分の人生の課題か。

※果たしてこれは反戦作かね。全く関係がないかね。要一考。母は空襲の火事で亡くなった。しかし、父の工場は戦火が増すことで潤い、父は喜んでいる。新しい妻を迎え子もでき、順風満帆といった様子だ、
これらは反戦かどうかというより、眞人の戦争に対する意識に影響するものか。
あるいは作品自体は戦争を主題としたものじゃないが、戦争のせいで無用な懊悩を抱えることになった少年が主人公だと思うと、反戦的ではある。

これまでの作品を思い返して、往年になればなるほど、宮崎駿の深層心理に戦争や死が蔓延っていることは明確である。

きっとこの映画は、作品単体で完結するものではなく、宮崎駿の心象と照合しながら観るべきものなのだろう。

追記1 8/29
パンフ許せねえ。購入者を舐めてるとしか思えない内容の薄さ。

追記2 8/29
どうでもいいことだけど七人の婆さんたちについて。
あの婆さんたちは作中屈指の動画枚数でぬるぬる動き、そのコミカルさと高齢者らしい手前勝手なムーブ(偏見)で観客に愛嬌を振り撒く。
こんな風に婆さんたちを個性と共に描き分けられるのは流石宮崎駿だなあと思った。
しかし、いざ街に出てリアルな婆さん爺さんたちを見ると、いやはやババアとはあんなものではない。
耳が悪いから互いに話す声が大きい。身振り手振りがでかい。急に手を叩き、不機嫌そうにして、感情を抑える理性が弱っているのが見て分かる。
「ボケ」を感じさせる部分が随所にある。
そんな、ちょっとした悲しみ帯びた老いを感じさせるのがリアルな高齢者で、これは誰もがいずれはそうなる運命なのだが、そう思うと『君たちは~』の婆さんたちの何と聡明なことか。
欲には忠実だが記憶がしっかりしていて、策を講じる狡猾さがあり、夫婦付きの婆さんに関しては品性までをも感じさせる。
となると、彼女たちの描き方は、決してリアルな婆さんを描こうというのではなく、かなり宮崎駿の理想を盛った存在として描かれているのではないか。
……なんてことをぼんやり考えていた。
まあ、あの婆さんたちが実際に何歳かは分からないし(見た目的に70↑な気はするが時代背景的にその歳でも働かされてるってことはない?)、もし60代とかだとしたらそんなにボケたり耳がめっちゃ遠くなる歳でもないかもだけどね。

追記3 8/29
大叔父と石と積み木について考えた。
個々の深い意味は今でもよく分からないが、自分の解釈として、あれは大叔父の非常に幼児的な"見立て"なのではないだろうか。
ちょうど子供が、ブロック遊びで自分の箱庭を作り、人形を登場人物に見立てて遊ぶように。
大叔父は「積み木を崩さずに保つ」ことを世界の統治に見立て、また「世界を継ぐものは石を一つ追加できる」「積み木という世界の構成物は罪なき物でなければならない」というマイルールを敷いて、統治者ごっこに耽っているのではないか。
もちろん、あれらの行為が「石」の力によって、実際に何らかの意味を世界に持っていた可能性は十分にある。
しかし、それ以上に、大叔父という、妄想の世界から出られなくなった大人子供の、ある種の行動描写として、眞人に対する独りよがりな「世界継承」ムーブはあったと考えられないだろうか。
……うーん、単純化しすぎかなあ。
そもそも、ごっこ遊びが幼児的とは言ったけど、それって同時に物語創作の原点だよねとも思う。自分も昔好きだったし、何なら今でも好きだ。

追記4 8/29
「switch」に、大叔父は高畑勲がモデルだと書いてあった。
やめろよ!作品外の、しかも政治的・社会的・国際的な出来事でもないプライベートな文脈を作品解釈に混ぜてくるなよ!
作品はあくまでも、事情を知らない無知な観客が見て、自由に解釈できるものであるべきだろ!
高畑勲がモデルだなんて。しかも製作中に亡くなったから継承の物語から興味が引いたって。あんまりじゃないか。
あるバナナ

あるバナナ