Inagaquilala

ボンジュール、アンのInagaquilalaのレビュー・感想・評価

ボンジュール、アン(2016年製作の映画)
4.0
自分のような、フランスかぶれで、食べ物が好きで、旅行が趣味の人間には、これはまさに垂涎の作品だ。コート・ダ・ジュールのカンヌからパリまで、途中、名所旧蹟やレストランに立ち寄りながら、車でドライブする。通常なら7時間くらいで着く行程を、1泊2日で辿る。自分もこのルートを逆に走ったことがあるが、そのときは、小さなルノー・サンクで弾丸のように南下したため、この作品の熟年男女が楽しむアクシデンタルな旅は実に羨ましい。

フランシス・フォード・コッポラの妻、エレノア・コッポラが、80歳にして初めて撮った長編劇映画だ。それまでノンフィクションの映画監督としては、何本か撮った実績はあるのだが、今回は自らの体験を基に脚本を執筆、監督を探していたところ、自分でメガホンをとったらという勧めもあり、このロードムービーを初監督したという。「自らの体験」と言えば、娘のソフィア・コッポラも、東京での退屈な滞在をドラマ化した「ロスト・イン・トランスレーション」を監督していて、母娘が奇しくも同じような出自の作品を撮ったことになる。

物語は、カンヌの海を見つめる女性の後ろ姿から始まる。カメラが引いていくと、そこはホテルの一室で、夫のマイケル(アレック・ボールドウィン)がせわしなく電話をしている。海を見つめていたのは、妻の
アン(ダイアン・レイン)で、映画のプロデューサーである夫に従いカンヌ映画祭に来ていて、夫妻はこの日、映画のロケ現場であるブダペストに飛ぶことになっていた。出発が迫っているのに夫は何もせず、荷物もすべて妻まかせ。ふだんから日常的なことには無関心で、仕事一辺倒の夫に、アンはやや不満を感じていた。

夫妻は、夫のビジネスパートナーであるフランス人のジャック(アルノー・ピアール)とともに、空港に向かうが、アンは耳の不調のため搭乗せず、ブダペストにはマイケル1人で行くことになる。マイケルとはパリで落ち合うことにしたアンは、列車で向かおうとするが、ジャックは「映画祭」で列車の席が取れないから自分の車に同乗したらどうかと提案する。かくしてちょっと年はくっているが気の利く独身のフランス人と映画プロデューサー夫人のおかしな車での旅が始まる。

すぐにでもパリ向かうのかと思っていたアンだったが、ジャックはまずランチをと、なかなか出発する気配がない。おまけに美味しいレストランがあるからといって、途中の町で1泊することにし、アンのクレジットカードを使って、ホテルまで取ってしまう。車をスタートさせてもここはセザンヌが書いた景色だの、ローマ時代の遺跡を見ていこうと言って、寄り道ばかり。こんなことではいったいいつパリに着くのだろうと思ってると、夫からフランス人は手が早いから気をつけろと電話がはいるのだった。

旅の友としては、ジャックは実に素敵だ。少々、運転には難はあるが、会話はウイットに富んでいるし、行く先々の土地に通じていて、そのうえ美味しいものには目がない。アンは、やや危険な匂いを感じながらも、次第にジャックに心を寄せていく。アンが、フランスの花は香りが良いと言うと、ジャックはアメリカの花は冷蔵庫の匂いがするからね、と応える。車内で、レストランで、そして草上の食事で、ふたりの距離は縮まっていく。このあたりの描写は、実体験も踏まえているせいか、なかなかに説得力があり、素晴らしい。

アンは、道中、デジタルカメラで料理や観光名所などを次々と収めるが、その際に撮ったジャックの写真を、夫と電話で話した後に消していくが、最後の1枚だけ消すことができず残してしまう。このような細かい描写を積み重ねることで、アンとジャックの奇妙な関係を表現していく。初の長編劇映画と言っても、このあたりまさに熟練の技と言っても良いかもしれない。

ややツンデレな感じのアン役のダイアン・レインに対して、とにかく人の良さそうな笑顔が魅力なジャック役のアルノー・ピアールの組み合わせは、これはもう絶妙だ。原題は「Paris can wait」、果たしてアンとジャックは無事にパリに着くのか、それはどうか作品をご覧いただければ。ひさしぶりに心から楽しむことのできる作品にお目にかかったかも。
Inagaquilala

Inagaquilala