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南部の唄のMOCOのレビュー・感想・評価

南部の唄(1946年製作の映画)
3.0
「 ここは生まれ育った家だろ、二度と帰ってこない気か?
 どこに行ったってトラブルからは逃げられやしない」(アンクル・リーマス)
「これからいくところは、トラブルなんかないの!」(ブレア・ラビット)
「そんな場所はありゃしないって」
「止めたって無駄だ。絶対に帰ってこないよ、もう決めたんだ。
 さよならアンクル・リーマス。心配しくてもいいよ僕のことなら大丈夫、自分のことは自分でなんとかできるから」
「出ていきゃトラブルとおさらばできると思ったらしいがなんのなんの、別のトラブルに向かって行っただけなんだ(観客に向かって)」


『全米黒人地位向上協会は「南部の唄」での音楽、生きた俳優とアニメを組み合わせる技法における顕著な芸術的功績は認めています。
 しかし、内容がアメリカ北部と南部両方の観客を怒らせないように努めたことで、この作品は危険なほど美化された奴隷制のイメージを永続させるのに役立つこととなり残念に思います。
 美しいリーマスじいやの民話を利用し、残念ながら『南部の唄』は事実の歪曲である(奴隷との関係が)牧歌的な主従関係であった印象を後世に与えてしまいます』
・・・プレ上映のあと、全米黒人地位向上協会のウォルター・フランシス・ホワイトはディズニーに抗議文を送りました。
「舞台は南北戦争の後である」と、反論したディズニーは「南北戦争の後だと年代が明確になる日付を本編の中で表す様」要求されたのですが応じることなく一般公開しました。
 それが、後に人種差別を問題視する世の中になって響いたのか「南部の唄」はディズニー自身が封印をして現在は視聴が困難な作品になっています。
 ディズニー映画の「暗黒史」の一つに数えられる作品とも言われています。

「南部の唄」はディズニーリゾートのスプラッシュ・マウンテンの題材になっているのですが、アメリカではアトラクションの入れ替えなどを理由にスプラッシュ・マウンテンは現在存在していないようです(突然復帰のニュースも伝わっているのですが??
 東京ディズニーリゾートのスプラッシュ・マウンテンも閉鎖リストにあるようです)。

 初期のスプラッシュ・マウンテンは搭乗直前にこの映画で使用された歌
「zip-dee-doo-dah」が流れていたのですが、現在は使われていないようです。

 抗議文の内容を確認してみると「黒人は差別を受けていたのに、美化された奴隷制度が画かれていて、史実と違うから好ましくない」と、いうことで、それはまさしくアメリカ映画が現在進行形で行っていることではないでのしょうか?
 荒野の七人(マグニフィセント・セブン)のリーダーが黒人だったり、兄弟なのに肌の色が全員違ったり、雪のように真っ白な肌のはずの白雪姫が白人でなかったりと・・・。
 全米黒人地位向上協会が現在も活動しているのであれば、今こそ「白人しか主人公になれなかったアメリカの暗黒史を美化しすぎている」と、猛抗議すべきではないのでしょうか?
 私は今の映画界の過剰に多様性を意識している施策は間違っていると思うのですが・・・。


 アトランタの新聞記者ジョン(白人)は妻サリーと幼い息子ジョニーと共に、南部にあるサリーの母親の農場に越してくるのですが、その馬車の中でジョンはアトランタへ戻って仕事をすることを告白し、サリーの実家に到着まもなく一人アトランタに帰っていきます。ジョンが書いた新聞記事がアトランタで大騒ぎになり、ジョンの一家は逃げてきたのです。
 祖母の家の玄関で突然話を聞かされたジョニーは寂しさのあまり内緒でアトランタへ行こうと決めます。
 
 農場の下働きのアンクル・リーマス(黒人)はそんなジョニーを引き留めようと、お調子者でずる賢いブレア・ラビットと、ブレア・ラビットを食べようと付け狙うちょっと間抜けなブレア・フォックスと、のんびり屋だけど怒らせると乱暴になる更に間抜けなブレア・ベアのお伽噺を聞かせます。 
 ジョニーはアンクル・リーマスがするお伽噺に夢中になり、アトランタへ行く気持ちが薄れ、探しにきたジョニーの世話役のトビー(黒人)とアンクル・リーマスに送られて家に帰るのですが、家出を気付かれないようにジョニーを庇ったアンクル・リーマスはジョニーを夜遅くに帰したことでサリーに悪い印象を与えてしまいます。
 その日からジョニーはトビー(同じ歳位の黒人の男の子)とジニー(少し幼いくらいの白人の女の子)と仲良くなり、アンクル・リーマスの話を聞くことが楽しみになります。

 ジニーは二人の意地悪な兄にいつもいじめられていて、兄がいじめていた犬をジョニーにあげたことでジョニーも二人に目をつけられてしまいます。

 ジョニーはアンクル・リーマスに聞かされたお伽噺を自分に置き換えてジニーの兄がお母さんに怒られるように仕向けます。

 サリーはアンクル・リーマスがジョニーに余計な知恵をつけていると思い込み、アンクル・リーマスにジョニーがジニーにもらった犬を二人に返すように言い付けて、ジョニーには近づくなと言います。

 そんな中でジョニーの誕生日のパーティーが催されジョニーはジニーを迎えに行きます。
 ジニーは兄達のいじめでパーティードレスを汚され、ジニーのために二人に立ち向かったジョニーは、棒切れで殴られそうになってしまい、駆けつけたアンクル・リーマスに助けられます。
 ジニーは汚れたドレスを気にして2人はパーティーには行けなくなってしまいます。

 アンクル・リーマスは、すっかり元気を無くしてしまった2人を励まそうと 「ブレア・ラビットの笑いの国」のお話をします。

 サリーはパーティーに来なかった2人はアンクル・リーマスのお伽噺を聞いていたからと思い込んで、アンクル・リーマスに二度とジョニーに近づかないように言います。

 アンクル・リーマスはショックを受け荷物をまとめて農場を出ていってしまいます。

「笑いの国」の事を考えていたジョニーは、どんな辛いことがあった時でも、どんな悲しいことがあった時でも笑顔に変えてくれる話をしてくれるアンクル・リーマスのいる小屋こそが自分の「笑いの国」だと気が付くのですが、トビーからアンクル・リーマスが農場を出ていった事を聞かされます。
 驚いたジョニーはアンクル・リーマスの乗る馬車を追いかけて、暴れ牛のいる放牧場を横切ろうと柵の中に入ってしまい牛に突き飛ばされてしまいます。

 ジョニーが意識不明になった連絡を受けたジョンは急いでアトランタから駆けつけるのですが、ジョンやサリーがいくら呼びかけてもジョニーの意識は戻る事なくただただ「アンクル・リーマス行かないで、帰ってきて」と、うわ言を繰り返すばかりでした。
  ジョニーの事故を聞き付けて農場へ引き返してきたアンクル・リーマスはジョニーの祖母に部屋に迎えられ意識のないジョニーの枕元で「ブレア・ラビットの笑いの国」の話をするとジョニーは意識を取り戻します。

「自分の家が笑いの国だった」というアンクル・リーマスの話を一緒に聞いていたジョンは「もうアトランタへは行かない」と約束し、サリーもジョニーの気持ちを理解してあげなかった自分に気がつき「ここを世界一の笑いの国にしましょう」と話します。

 アンクル・リーマスは農場に残り元気になったジョニーがトビーとジニーと森で仲良く「zip-dee-doo-dah」を歌いながら行進しているところを嬉しそうに見守ります。
 三人の後ろ姿を見つめるアンクル・リーマスはジョニー達とブレア・ラビットやその仲間たちが一緒に遊んでいることに気が付き驚きます。
 今日まで彼らの姿が見えていたのはアンクル・リーマスだけだった(あるいはアンクル・リーマスの想像だった)のですが・・・。

 
 ディズニーお得意の実写映像にアニメーションを書き加えた作品です。ブレア・ラビットやその仲間たちがアニメーションで登場します。捕えられたブレア・ラビットが知恵を使いブレア・フォックスから逃げ出すエピソードは子供の頃に読んだ岩波少年文庫の「うさぎどんきつねどん(同じ南部のお伽噺)」を読み直したくなりました。
 ブレア・ラビットのキャラクターデザインはバッグス・バニーに影響を与えていると感じさせるほどキャラが似ていました。

 差別問題は差別受けた(被害)者にしか分からないものだと思います。差別問題を内存している映画と知って観ても、私にはそんな感覚は少しも判りませんでした。

 レビューの前半でディズニーが封印して、視聴困難と書いたのですが、ディズニーの思惑とは裏腹で著作権の保護期間が終了しているのかYouTubeで吹替え版が公開されています。
 それにしてもいつ聞いても「zip-dee-doo-dah」は心踊る歌です。
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