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寝ても覚めてものmのレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
5.0
遂に遂に、濱口竜介監督が商業映画デビュー。「PASSION」の頃から観続けてきた身としては内心緊張したが、見事に変わらず素晴らしい濱口映画で良かった。
観ている最中に濱口監督の5時間17分の大傑作「ハッピーアワー」と同じ感覚、映画の中の時間にいつのまにか取り込まれてすっかり映画の時間に生きている感覚になっていて、映画が終わった後もしばらく現実に戻ってくる事ができなかった。実はかなりテンポが早いのに、長い時間を生きた感覚。

人という生き物は時に衝動に突き動かされ、自分でも理由の分からぬ行動をしでかしてしまう。この映画にはそれが見事に描かれている。
主人公の朝子は自分の感情や衝動にとことん正直な人だ。真っ正直な彼女の感情は人によっては怖くて醜いかもしれないが、スリリングで観ていてどうしようもなく惹きつけられる。説明のできない感情や行動を目撃する事、それが映画という物のひとつの醍醐味でもあるように思う。その理由を親切に説明しない事にもこの映画の勇気がある。
劇中時間をかけて滋味深く育まれてきた愛は暴走して反転し、容赦無く他人を傷付ける。あまりにも自分本位で残酷だがそれこそが愛という感情の本質だったりする。とても人間らしくて魅力的な女性像だった。

そんな朝子を体現した唐田えりかはそのぽっかりと空いたような真っ黒な眼と低く落ち着いた声が印象的で、初めて見た女優さんだったが惹きつけられ素晴らしかった。



彼女が恋する平穏と不穏の両極端なふたりの男。「めまい」なのか「ドッペルゲンガー」なのか、ふたりの男のサスペンス演出は時に黒沢清映画ばりに冷たく怖いが、時に暖かく心救われる。途中で亮平に視点が移る事がとても効果的!
今回は東出昌大の持つ特性が全てフル活用されている。彼の人の良さと虚無感のある怪物性、常人離れした体格の大きさといった全ての持ち味が完璧に活かされて、黒沢清映画以外ではベストアクトだった(遂この前「菊とギロチン」で同じ事を書いたばかりだが早速更新された)。


「ハッピーアワー」第1部でのワークショップ打ち上げシーンで作品のギアがグッと変わったように、今回も序盤の朝子と亮平ら4人のお好み焼き会シーンで作品のギアが変わる。複数の人々が参加する場で誰かが本音を語り始めて場が壊れる様、そして今回はそこから修復し新たな感情が生まれてくる様をじっと見つめる視点。感情の嵐の外からブレない言葉を投げかける主人公。個人的な思い入れもあってかあまりに素晴らしい場面で思わず嗚咽しそうになってしまった。

このシーンに顕著なように、この映画は脇役達も素晴らしい。愛の話だけでなく、周りの人々との繋がりの話でもある事を実感させる生きた芝居だった。
近年の塩田明彦作品で地道に寡黙に良い仕事をしてきた事が遂に活きた感のある瀬戸康史、序盤と終盤で裏の心情を感じさせて無性に泣けてくる良い芝居を披露した山下リオ、この映画の役者達の中で最もさり気なく巧い伊藤沙莉(彼女の最後の「言葉」が素晴らしい)、皆彼らのこれまでのキャリアの中でもベストアクトを引き出されている。渡辺大知に彼の特性と真逆の役割を与えた事も良い。



役者の『いのち』を引き出す演出だけでなく、テクニカルな動きの演出も優れている。
最初に朝子が麦に出逢い恋に落ちるまでの美術館と川辺の丁寧に積み重ねたケレン味ある演出、非常階段での告白シーンでの亮平の見上げるポジションからの立ち位置の変化、クライマックスで土手を駆け上がり後を追う主人公の動き(そしてあのロングショットの息を呑む見事さよ・・!)、等々・・。濱口演出の新しい一面を見れた。
乗り物の演出は今回控えめだけど、深夜バスの外の光に照らされる彼女には思わず見惚れた。


8年の年月を描く中で、東日本大震災の事も観客の私達と同じように印象的に彼女達の人生に影響を与えていく。東北記録三部作を粘り強く手掛けてきた濱口監督なだけに、そこに(他の多くの日本映画のような)取って付けた感は全く無い。
震災当日のあの時の感じをありありと思い出した。当時自分も友人の映画を観に劇場にいる時に揺れた。あの時の感じ。
多くの人たちにもう忘れられた仮設住宅の様子もこうして映画に刻み込まれて良かった。


工事労働者の人達のあの感じ、かつてあの中にいたからよく分かる。こういう風に隅々の人まで多面的に描くから信用できる。


最近密かに流行りのヨーロピアン・ビスタの画面の少しの狭さもまた作品に活きている。



自分の周りには朝子の行動に共感する女性の方がたぶん多いのだけど(笑)、一般的には彼女の行動は反発を招くらしい。しかし個人的にはとても彼女の事が興味深くて好ましく、彼女の感情をこうして描いた事、そしてこの映画がこの国で注目を集める事には価値があると思う。




最後のあのふたつの台詞、まさにこれこそが愛であり、人間そのものであると感じた。忘れられない映画だった。
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