改名した三島こねこ

アルカディアの改名した三島こねこのレビュー・感想・評価

アルカディア(2017年製作の映画)
2.3
不可視の神である存在の偶像化とは

普通不可視不可解の存在の視覚映像化というのは、おおよそがその神の属性によって共通のシンボルを獲得する印象がある。本作のモチーフであるクトゥルフ神話体系で複数の神性を擁するナイアルラトホテップにしても、複数の側面を持ちつつも特定集団内ではその偶像に共通見解がある。
しかしながら本作の神とされる存在には同一集団内でも、認識の齟齬が映像化の後にさえ見られている。ある時は二足の野獣。ある時は水底の巨塊。ある時は境界線の鳳。これが意味するのはどういったことなのか、不可解ではあるものの神話理解的な文脈から理解してみたい。

いやこうやって深読みしないとどうしようもない作品なんですよね。なにか決断をしてはそれを解消しての繰り返し。キャラクターに魅力があるかといえば軽佻浮薄な弟の性格にイライラ。カルト的な魅力なんて皆無。もうどうしろと。

ホラー映画としてどうかと尋ねられてもどうしようもない。なにがよくないかといえば怪奇現象の非一貫性。怪奇現象に理論を求めるなというのは最もなのだけれど、そういう話ではない。主題の同一怪奇現象からして記憶の保持とか同一性の破綻とか色々おかしいのでそのあたり気になってしかたがない。

なによりラヴクラフトの作品集を通読すれば明瞭なのだが、彼の提示した宇宙的恐怖の世界観はゆるやかにだが確実に痕跡を積み上げることで恐怖として結実する。しかし本作にはその足がかりになるような痕跡がない。後続のクトゥルフ作品は全作読んではいないものの、これはラヴクラフトの言葉を引用していい文脈の作品ではないだろう。

なんとかいいところをひとつあげるとするならば月が並列する映像美。トリアー監督の『メランコリア』を思い浮かべる空中の神秘は、どんな作品でも鮮やかに見える。