YukiSano

007/ノー・タイム・トゥ・ダイのYukiSanoのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

これこそ、カジノロワイヤルから求め続けてきたボンドの終わり方。これ以外ないだろうと思っていたので前作スペクターでは完結編かと思って心底ガッカリした。しかし彼は戻ってきて、しっかりとケリをつけた。

しかも取った責任は全25作分全て。
というか20世紀男性の理想像の象徴が、性犠牲になったであろう全ての女性に謝罪した映画となっている。

旧時代の男達は皆、情けない姿を見せてくれる。Mは国防のために男らしさを見せた挙げ句の果てに恐ろしい兵器を産み出してしまう。世界征服を企んだ悪の親玉ブロフェルドは、その大きな野望とは裏腹にしょうもなく死んだ。もちろんパーティーに勤しんで死んだスペクターの皆様も無様だった。極めつけはボンドの土下座と死であろう。男達はその夢と野望の責任をとったのだ。

20世紀が生み出した資本主義と強権主義の象徴は、自ら自滅して去っていた。残ったのは未来の象徴として女子供である。だからこそ主題歌がビリーアイリッシュだったのだと唸る。マドレーヌは今までボンドが捨ててきたボンドガールの象徴だ。そしてパロマは最高のキャラクターなのでスピンオフを願う。

ダニエル版ボンドは007の解体と再構築を911以降のリアルの中で模索し続けた。その結果、トランプ時代が到来した時に製作陣は気づいたに違いない。自分達にも責任がある、と。この巨大なミソジニスト達の妄想を壊さなくてはならない。だからこそボンドは戻ってきた。

007の称号は剥奪され、裸一貫で戦うことになる。触れたもの全てを殺す兵器とは自分のことでもある。彼は常に自分自身と戦っているという比喩かもしれない。彼が殺さなければならないのは自分自身が産み出した闇だ。

ヴェスパーと同じような状況で死ぬフェリックス、慰めの報酬と同じ姿勢で落ちるボンド、スカイフォールの氷の池と同じアングルでマドレーヌを捉えるカメラ。女の裏切りの記憶も甦って、ダニエル・ボンドの走馬灯が全て再生された後に辿り着く 「死」。

ボンドの心理状態とアクションが見事にマッチし、最後に精子みたいなミサイルに焼かれて死ぬボンドの後ろ姿。

これこそ求めてきたものだと涙した。
007としてはカジノロワイヤルやスカイフォールには敵わないだろう。

しかし、旧時代から続くミソジニーや血統主義の全てを自らと共に焼き付くしてシリーズは幕を閉じた。これほどの凄まじい完結をしたフランチャイズはそうないと思う。

もしかしたら未来にジェームズ・ボンドは生まれ変わって帰ってくるかもしれない。しかし、その時は想像も出来ない未来が待っているはず。

それは楽しみだけど、今はただ男達の淡く儚い夢に冥福を祈るだけである。

かつての正義は悪となり果て、老いと共に自ら去っていった…残されたのは未来だけなのだ…
YukiSano

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