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泳ぎすぎた夜のeyeのネタバレレビュー・内容・結末

泳ぎすぎた夜(2017年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

『人間ももともとはけものと同じ生きものだった。言葉がないと、意味の仮面がはがれて、いのちのナマの姿が見えてくる。』
谷川俊太郎/詩人

この言葉に集約される映画。

第74回ヴェネチア国際映画祭 オリゾンティ部門正式出品。ここFilmarksでも受賞。

しんしんと雪が降り積もる青森は弘前が舞台となる日仏合作映画で、小さな町の漁業市場で働く父親を持つ小学生の男の子の物語。

実際の家族が演者であり、ドキュメンタリー要素とフィクション要素が混ぜ合わさった映画。

父は仕事に行く前に家族を起こさないように静かに支度をし、タバコを吸うことを日課にしている。
ある日少年は物音で目を覚まし、父親が出かけるのを目の当たりにする。

父親が座っていた場所にちょこんと座るその姿がどことなく重なって見える。

その夜は眠りにつけず、魚の絵を描いたり、写真を撮ったり、テレビを見て過ごす。なので朝は当然ボーッとしている。

普通に登校するはずの1日が、父親に会いに街に繰り出す日へと変わり、記憶を頼りに、片方の手袋を落としながらも歩みを進める。

とても原始的な映画でセリフはないに近い。

"絵"・"魚市場"・"長い眠り"といくつかセクションに分かれてはいるが、旅を続けつつ、最終章は長い眠りにつき、少年は眼を覚ますことはない。

それまでの旅が長い夢を見ているように。

普通に考えれば極寒の中を身一つで、動き回ることは危険以外ないし、「家族ももっと心配しろ!」って話につながるけど…

それよりも少年が魚の絵を見せに父親に会いに行く!っていう目的に突き動かされるその姿は衝動感がある。

帰ってきた息子を言葉なく、優しくそっと見守る父親の姿は家族を守る者としての偉大さを感じさせる。

自分が幼かった頃、大きな父親の姿を重ねて、昔のことをそっと思い出させてくれるような映画。

弘前水産地方卸売市場にそっと置いてあるニット帽が戻ってくるといいね。
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