マカ坊

鈴木家の嘘のマカ坊のレビュー・感想・評価

鈴木家の嘘(2018年製作の映画)
2.9
「伝えたい事」のために動かされるキャラクター達に全く乗れなかった。

監督自身の切実な実体験をもとに作られたという今作。インタビューなどを読む限り、これは監督にとって絶対に撮らなければならない映画だったという事は十二分に伝わってくるし、「白黒はっきりつけた映画は撮りたくない」「家族とは何かを描きたかった」という信念にも大いに共感できる部分はある。

目的は良く分かった。気概も気迫も伝わる。敬意を払うべき映画だ。では中身は?

言いたい事が確立され過ぎていて各キャラクターに実在感がない。100歩譲ってメインキャラクター達はまだいいとして、彼らを取り巻く世界の人々は本当にただ彼らにとって都合のいい役割を演じさせられているようにしか見えない。(転ぶために自転車を押す少女の人生はこの映画の世界線ではおそらく存在しないのだろう)

そして映画全体を通して最も印象的で、作り手も力を入れたであろうあの長回しシーン。

『観客は、怒りの感情をむき出しにする役者の姿を目にして、「自分と同じ人がここにも居る」と感じる。』と監督は語る。

本当にそうか?これは各人のパーソナリティの問題かもしれないが、感情を爆発させる人間よりも、それを押し殺して一人涙するような人間にこそ私は"共感"する。

また今作の特徴でもあるコメディ演出も気になった。
「一ヶ所も笑いがない映画はダメだと思っているんです。」と監督は言う。
流石にそれは言いすぎだとは思うが、確かに映画におけるユーモアはとても重要だ。

しかし今作で用いられる「笑い」は、漬物を配るおばちゃん、カタコトの外国人、怪しい霊媒師などなど、個人的には思わず閉口してしまうほど前時代的なものばかりで、これが2018年の映画だとはにわかには信じられなかった。(とくに片言の日本語を話す外国人をくすぐり程度に用いる感覚があまりにも古いし差別的ですらある。)



おそらく監督は鈴木家の人々と同様、嘘をつくのが下手なのだろう。自分に正直な人間が作った映画である事は確かだ。

しかし私が映画に求めるのは、「良く出来た嘘」であり、その嘘が観る者それぞれの心の中で「真実」を超える瞬間の感動だ。

残念ながら今作の嘘は私の心には響かなかったが、自明ではない家族を描いた映画をもっとたくさん観てみようと思う。
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