導入のインタビューシーン
カメラは話を聞く人と喋る人、カメラを操る人は同じであることを暗示する
このシーンからハッキリとわかるように、このインドネシアの物語は日本の平行世界、もしくは日本そのものである(監督の物語でもあるのだろう)
戦争や自然災害、若者の悩みは日本と変わらない
ラウが何者だったのかはわからないが、
自然の不規則性そのものを抱えた人物であった
何かが終わることを全て自然のせいにしてしまうことは、自然を拒絶することになる
自然に開けることが記憶と関わっているのは異色だった
自分以外のものに向き合うことで自分が戻ってくるタカコは自分だ
自分の感情と自分の持つ記憶や世界の記憶は、案外繋がりが薄いのかもしれない
もしくは、断線でしか繋がらないのかもしれない
必ずしも記憶が自分に都合が良いとは限らない
ラウみたく子供の無邪気さを醸し出してるから正直言って、薄気味悪い
(ディーンフジオカの存在感が凄かった)
だが、自然災害や戦争、自分にも、等しく向き合うことは若い世代が感情から自由になるには必要なのだろう
ファンタジーか現実か、
その境は感情の外にある
そこに国境のようなハッキリとした線はない