吉田ハム

殺人者の記憶法の吉田ハムのレビュー・感想・評価

殺人者の記憶法(2017年製作の映画)
3.5

※ネタバレを含みます※

「記憶を失いつつある主人公によるクライム映画」といえば、クリストファー・ノーランのメメントが思い出される。この映画は、10分前のことを忘れていく主人公が、自分の妻を殺した相手を探すという内容である。特筆すべき点は、出来事の終盤から順に観客に見せていくという描き方をしているところである。DVDの特典に正しい時系列で映していく(つまり、映画のラスト=出来事の発端から順番通りに映していく)機能がついており、これでもう一回観直すと主人公があまりに憐れに思えてしまって、とても観ていられなくなる。

なぜ憐れかと言えば、語弊があるかもしれないが主人公がどんどんバカになっていくからである。本作だとスマホを炒めたりペットに薬物を過剰投与してしまうシーンなどでそれを感じるだろう。そういう記憶を失いつつある主人公を取り扱った作品は多い。近年だと「愛、アムール」「アリスのままで」だろうか(挙げた作品はいずれも秀作です!是非是非)。
そして主人公が記憶を忘れていくということは、サスペンスと相容れないと思われる。サスペンスは大抵推理モノ、犯人捜しになることが多い。主人公とともに与えられた証拠を紡いでいき、犯人は誰かを考えながら観ていく。それなのに、主人公がその証拠群を忘れていくということは、もう話として破綻してもおかしくないはずだからである。

しかし、本作やメメントはサスペンス映画として見事に成り立っている。メメントでは逆再生という手法をとっているが、本作では「記憶を入り乱れさせる」という手法をとっている。
人間はある1つの事を忘れても、その前後の事を覚えていれば思い出すようになっている。暗記モノの教科を覚える時に、よく「関連付けて覚えなさい」と言われたのはその脳の機能を活かすためである。また人間は、会話において相手が何を言ったかよく聞き取れなくても、その聞き取った言葉の音を元に、これまでの経験や会話から何を言ったか判断するという習慣を持っている。
本作ではこれが逆手に取られ、主人公の記憶が何度も入り乱れる様子が描かれる。そして観客は惑わされ、ミン・テジュが良い奴なのか悪い奴なのか、主人公が本当にとった行動とは何かなどが終盤まで分からなくなる。これが実に面白い。

そして、エンディングは「記憶は忘れても習慣は忘れない」という伏線を回収して終わる。あのラストは、記憶ではミン・テジュを殺したことになっているが、殺人者としての習慣がミン・テジュを取り逃がしたということを主人公に物語っている、という意味だろう。もしかしたら続編があるのかもしれない。
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以下、雑記。
・正直、ラストのあれは蛇足に感じた。その一個前の、主人公は殺人者としての記憶を全て忘れ、父を殺す前の純粋だった頃に戻った…というところで終わっても良かった気がする。
・ラスト手前の娘に髪を切られるシーンで、切られる前後で娘の呼び方が変わった(前:姉さん、後:娘として認識)のは、娘に髪を切られるという習慣があったからではないか。
吉田ハム

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