Morohashi

バッド・ジーニアス 危険な天才たちのMorohashiのレビュー・感想・評価

4.5
◯カンニングをするということ
学力は買える(かもしれない)----。そんなことを考えた。
日本でも昨年度こういうことがあったし、将来こういう日は来ると思う。
アジアって、結構こういう知識の学力を求めがちな節がある。

この映画の元ネタになっているのは、昔中国であったSAT(アメリカの大学に入学するための共通試験)の集団カンニング。
この映画と同様に、時差を使って問題を送っていた。

さて、カンニングは悪いことなのは誰でもわかるが、実はなぜカンニングが悪いことなのかをきちんと説明できる人は、そんなに多くない。
たとえば泥棒が悪いのは、誰かの財産を勝手に取ってしまう行為だから。
でもカンニングって、誰も損しない。
強いて言えば、定員の枠があって、その中から合格圏内ギリギリの誰かを押し出してしまうかも、というのが実害。

カンニングがいけない理由は、受験者の本来の能力が見えなくなるから。そうなると、他の受験者と同じ土俵で戦うことができなくなり、試験者としては当該の受験者のために別の採点基準を設けなければならなくなる。
だが、そんな採点基準などあるはずもないため、この答案は無効となる。

カンニングがいけないのは、ムエタイをしておきながら、ボクシングのルールの中で勝敗をつけてください、と殴り込んでくるようなもの。試験者にとっては混乱をきたすもので、だからこれが犯罪となる。
カンニングって、勝てば良いっていうロジックにすごく良く似ている。
私は大人ならまだしも、高校生のうちからこういう理屈でしか頑張れない生徒に辟易する。

◯学力と留学
すごく皮肉なのは、当のカンニングをしたがっている人たちは、特に海外に行きたいっていう野望がないこと。親の意向で行かされているだけ。
留学をするからには、そうして何をするのかっていうのが大事。
目的もなく海外に学びに行くなんて、相手の国に失礼なこと。何しに来たの?ってなる。

教員をやっていていつも思うのは、入学試験で測っているのは学力なのか、あるいは学力を身につけるプロセスなのか、わからなくなること。
生徒の知識量は、生徒の学力を担保するという前提に立って、現在の筆記試験は成立している。
だけど、知識がある生徒は必ず学力があるかというと、必ずしもそうとも言えない。少なくとも、まともに国語ができないような生徒が数学や英語ができるはずがない。
だから、国語の力を徹底的に問う筆記試験をやったほうが、みんなハッピーになれると思う。


◯映画のしての評価
この映画、とても面白い。
何が面白いって、先が読めないジェットコースターみたいな映画だから。
スリルあり、友情あり、裏切りあり…
目的はテストで点を取るという1つだけだが、それによっていろんな夢が叶うことになるので、応援せずにいられない。強烈な共感を呼ぶ。
こうやって観客の興味関心をうまくコントロールしているところが、素晴らしいと感じた。
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