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愛と希望の街の教授のレビュー・感想・評価

愛と希望の街(1959年製作の映画)
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大島渚監督、27歳のデビュー作。
短い尺の中で、貧困に対しての「中流」あるいは「上流」のインテリ層の欺瞞と悲劇を見事に映画に仕上げている。

靴磨きで生計を立てている母親(望月優子)と知的障害を持つ妹と三人で暮らしている主人公の正雄(藤川弘志)は飼っているつがいの鳩を売っている。
鳩はその習性で戻ってくるので、それを何度も売っている。
この「日本人の貧困層の性根」に対しての洞察、眼差しが厳しくも優しい。
生きていくためには、犯罪であっても、倫理を損なってもその選択をするしかないこと。
そしてまた「貧すれば鈍する」という心の「穢れ」に対する意識は大島渚の「インテリ」たる視点の発露として面白い。

貧しくても、勤勉で誠実で親思いの正雄。
担任教師の秋山(千之赫子)や裕福な大企業の霊場である京子(富永ユキ)など、階級(階層?)の違う人々は正雄に目をかけている。
その視座が、純粋な「優しさ」や「正義感」に裏打ちされたものである一方で、所詮は「貧困の現実」を知らない正論としての虚しさを内包している構造を見事に炙り出している。

それらの両極が多層に表現されながら、ひとつの家族、あるいは一人の貧困の問題が「経済格差」によって、正雄と京子の関係にも分断を生み、正雄と母親との関係にも分断を生み、それが縁で恋人関係になる秋山と、京子の兄である勇次(渡辺文雄)との関係の分断を生む。

受け入れ、支配され、内面化していくしかない社会構造の冷酷さ。
富めるものは富み、貧しいものはより貧しくなっていく負の連鎖。
登場人物ひとりひとりのドラマが進むにつれ、背景にある「資本主義社会」と「経済格差」の構造は、1959年の日本にも既に問題として可視化されている。
大島渚自身の「恵まれた」インテリ故の鼻につく貴族意識すらも堂々と吐露しつつ、それでも社会的弱者の問題を暴く強烈な意思を以て、映画を使って、挑んでいく覚悟と、物語の力に圧倒された。
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