サマセット7

千と千尋の神隠しのサマセット7のレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
4.5
監督は「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」の宮崎駿。
主演は「すずらん」「野ブタ。をプロデュース」の柊瑠美。

[あらすじ]
10歳の少女千尋(柊瑠美)は、両親と引越し先に向かう途中、放棄されたテーマパークと思しき謎めいた場所に彷徨い込む。
奥の橋の上で千尋は和装の少年ハク(入野自由)と出会うが、その時、夜が訪れ、無人の街は人ならぬモノが跋扈する異界と化する。
異界のモノを食した両親は豚に姿を変え、怯える千尋は、少年ハクに導かれるまま、「湯屋」に潜入する。
しかし、湯屋は、恐ろしき魔女・湯婆婆が支配する、八百万の神々を持てなすための場所であった…!!!

[情報]
スタジオジブリの代表作として知られる2001年公開のアニメーション映画。

興行収入は2020年時点で316億8000万円。
2020年に「劇場版・鬼滅の刃」が記録を更新するまで長らく、日本歴代興行収入一位を守っていた。

批評家、一般層問わず、世界的に最も高い評価を受けている日本映画の一つである。
アニメーションのみならず、オールジャンルの映画を含むベストランキングなどでも、しばしばランクインする。
アカデミー賞長編アニメーション部門受賞。
ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。

宮崎駿は、実在の10歳の少女のための映画を構想したとされる。
その結果、特に序盤は、歴代のジブリ・ヒロインの中でも、特に「普通の少女」を意識した描写が見られる。

メインストーリーは、異界に迷い込んだ少女が、豚にされた両親と自らの奪われた名前を取り戻し、現世に戻るため奮闘する、というもの。
いわゆる「行きて帰りし物語」である。
ジャンルは、日本の「八百万の神々」をモチーフとしたファンタジー。

[見どころ]
スタジオジブリの真髄たる美しき映像の数々。
他では得難い、幽玄かつ活気に満ちた、和風の異世界描写。
従来のヒロイン像と一線を画す、等身大のヒロインの成長劇。
何度観ても異なるメッセージが見えてくる、重層的なテーマ性。

[感想]
何度目かの鑑賞。
新年最初の鑑賞映画としては、神様もたくさん出てくるし、何となくおめでたくていいのではなかろうか。

ジブリの作品では、トトロもラピュタも好きだが、作品の評価としては、やはり今作が抜けていると思っている。
その今作の魅力の一つは、世界観構築の独自性にある。
舞台が和風異世界の絢爛な温泉宿で、従業員はどうやら蛙やナメクジの化身らしい。
支配するのは二頭身の異形の老魔女であり、女将というよりも、西洋の娼館主といった風情だ。
宿を訪れるのは、多様なビジュアルの神々!!
ハク、カオナシ、坊、釜爺といった魅力的かつ印象的なキャラクターたちや、湯屋のさまざまなディテールも含めて、世界観はひたすらオリジナルで個性的だ。

今回鑑賞して特に印象的だったのは、ストーリーの緊迫感が、序盤の「黄昏時」以降、全編途切れない点であった。
次々と試練が千尋/千に襲いかかり、終始ハラハラが止まらない。
千尋が特に特殊能力を持ち合わせていない普通の少女なので、なおさらである。
ハラハラが頂点に達するのは、オクサレ様のエピソードかカオナシのエピソードだろうか。
一見平穏なシーンすら、底には不穏なものが流れている。
特に電車のシーンは、今作の白眉だろう。

ラストの切なさは、さりげないが、ジブリアニメにおいてなかなか他に類例が見当たらない。

[テーマ考]
今作が、少女の成長をテーマの中心にしていることは、間違いなかろう。
特に、以下の点に今作の成長劇としての特徴があるように思える。
・主人公が、特殊能力のない等身大の少女として描かれること。
・少女が、サービス業の従業員として働く中で、成功体験を積んで成長していくこと。
・親に従うのみであった少女は、やがて母親的管理者の手を離れて、精神的に自立すること。
・同時に少女は、人がやがて死ぬことを受け入れ、その恐怖を乗り越えること。
・少女は対となる相手と、深い相互理解に達して、その絆を糧に成長すること、最終的には、その絆からすら、自由になること。

労働の対価として成長があることや、その労働が、サービス業である点は、現代日本の世相からするとなかなか現実的だ。
今の世の中、仕事と言えばその多くがサービス業であり、人生の多くの時間は労働で費やされる。
結局、人がより良くあるためには、なすべきことをなすしかないのだ、というメッセージは、それなりに人生経験を積んだ今聴くと、説得力がある。

受動的で、事態に立ち向かうことを恐れてばかりいた千尋だが、いくつかのきっかけから、成長を遂げる。
最終的に、恩人であるハクのため、能動的に、危険を恐れることなく、最後まで諦めずに、行動するまでになる。

今作の面白い点は、メインテーマ以外にも様々なテーマが並行的に編み込まれていて、互いに響き合って独自の味を出している点にある。
例えば、オクサレ様やハクのエピソードに象徴される環境問題の示唆。
例えば、千尋の名前の没収に象徴される、「名前」「契約」などの「言葉」の言霊的重み。
「食」がキーポイントになっている点も注目すべきだろう。
両親の異変や、千尋の世界への順応、カオナシの変化や銭婆のもてなしなど、重要な場面では、食べる描写がされている。
特に、ハクが千に振る舞う握り飯は印象に残る。

名前の没収については、クライマックスの伏線となっているあたり、脚本の妙だろう。
その重要性が序盤に強調されるがゆえに、終盤のハクとの「真の相互理解」のカタルシスが最高潮に達するのである。
これが、ハリウッドなどでよくある、キスやベッドシーンなどの身体的な接触であれば、ここまで感動的なシーンにはならなかったはずだ。

ファンタジーが須く現実の寓話であるとすると、今作の世界やキャラクターが象徴するものを考察するのも有益だろう。
そういった評論や研究は、今作に関してはいくらでもあろう。

例えば、千尋が迷い込んだ異界は、生と死の境目であると考えるのが素直だろう。
黄昏時の異変、跋扈する黒い影、湯婆婆の風聞もさることながら、終盤の電車のシーンは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を想起させ、死の匂いを濃厚に漂わせる。

湯婆婆や銭婆が母性の両極の象徴である、ということもよく知られた理解だろうか。
湯婆婆は、管理主義的な溺愛の母性の象徴であり、他方の銭婆は、放任主義と温かい見守りの母性の象徴といったところか。
坊への接し方に端的に表現される。

その他、両親が豚に変えられる寓意やカオナシの寓意を考えるのも一興である。
私は、前者は資本主義的な底なしの欲望の末路、後者は、現代人の抱える虚無、と捉えたが、異論もあろう。

まとめると、今作は、少女が労働の中で成長し、管理的母性の手を離れ、死の恐怖に打ち克ち、他者との絆を糧に、精神的に自立する話、と読むことができる。
と、同時に、成長にあたって、親を他者として相対化することや、現代的な虚無主義から脱して生を肯定することの重要性を表現している、とも読める。

何にせよ、今作が多様な読み方を可能とさせるような、豊潤な物語世界を構築していることは間違いない。

[まとめ]
アニメーションのみならず、日本映画を代表するジブリアニメの、傑作にして名作。
個人的に好きなシーンは、後半、千尋が壁伝いに移動するシーン。
前半の壁伝いのシーンとの対比に、千尋の成長が明快に表現されている。