静かな鳥

未来のミライの静かな鳥のレビュー・感想・評価

未来のミライ(2018年製作の映画)
2.8
こんなヘンテコな話になっているとは思いもしていなかったので、正直かなり戸惑っている。
制服姿の女の子と幼い男の子が、入道雲をバックにして浮かんでいる夏らしいポスター。"時空を超えた出会い"という『時をかける少女(2006)』を彷彿させる設定。山下達郎の楽曲が流れる楽しげな予告編。こういった前情報から、細田守監督の前作『バケモノの子』と同じくエンタメ要素満載!、勢いで駆け抜ける映画なんだろうと思っていた。が、いざ蓋を開けてみればどうしたことか。頭の中で勝手に想像していた「兄と未来から来た妹が、時空を行き来し大冒険する話」とはかけ離れた情景がスクリーンに広がる。

この作品を通して、細田監督がやりたかったことそれ自体は何となく理解できる。
子どもの些細な、けれども貴い"成長の一歩"。大人になるにつれ遠い記憶の彼方へ消えてしまうその瞬間を、理屈では説明できない"子ども時代の不思議な体験"として抽出する。現実と非現実がシームレスに入り乱れる作りなのも、多感に想像力を働かせる4歳児目線の物語だからこそだろう。

本作の主人公くんちゃんは、今までは自分が一身に受けていた両親の愛情を生まれたばかりの妹に邪魔されたと感じ、嫉妬で"赤ちゃん返り"をしてしまう。そんな彼が、自分とは何なのか?、そして「お兄ちゃん」としての己の立ち位置を自覚し、妹を妹として受け入れるまでの通過儀礼。それを、幼稚園への道や公園のシーン以外全編「一つの家(とその庭)」という最小単位の空間の中で描き切ってやる、という心意気は大いに買いたい。

加えて、このミニマムな舞台立てとストーリーの背景には、一家族の長い長い歴史が横たわっている。数えきれないほどの選択と可能性の連なりの果てに存在している"わたし"。くんちゃんのちょっとした成長は一家の歴史においてあまりにも小さな欠片でしかないが、そういった一つ一つの"点"の集まりが過去・現在・未来を"線"で結び、大きなうねりとなって家族という不可思議な共同体を形作っている。中庭にある"索引"の木は、正にファミリー・ツリー(家系図)の役割を果たす。
くんちゃんを叱るお母さんは、幼少時代同じことで親に叱られていた。親と子の関係の円環構造。くんちゃんは冒険によって、自分の生きる"いま"を再認識し、見つめ直す。その積み重ねで人は成長していく。それは親も然り。

観客は観ているうちに、我が身に置き換え考えてしまう。私(親だったら我が子)の成長の過程にも、ただ忘れてしまっている(知らない)だけで、本当はこういった物語があったのではないか? どんな町のどんな家の中でも、代わり映えのない日々の営みにドラマを見出すことは出来るのではないか? 物語は案外、あなたのすぐ近くに転がっている。そんな「気づき」を与える…
…みたいなことを目指したかったんだろうな、とは思うのだけれど果たしてそれに成功していただろうか。個人的には否だ。

エンタメ性を放棄したかのような散文的構成は、ルーティンの繰り返しである日常の表現としてあえてやったのかもしれないが、次第にダレていってしまう。一本の映画にしては、ぶつ切りなショートムービーを闇雲に継ぎ合わせたような違和感がある。子ども目線だからという言い訳が通用しないレベルの支離滅裂さ。考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。だいたいあの雛祭りのくだり、何だったんだよ。終盤の展開も、申し訳程度に盛り上げた感じでうーん…。
そもそもタイトルにもなっている未来のミライちゃんの出番は大して多くない。彼女は、「くんちゃんが成長のプロセスで出会う人物の中の一人」というだけ。プロット時点のタイトル『くんちゃんの不思議な庭』の方が作品にマッチしている。
他にも、ミライちゃんの手の痣やお母さんの弟の話は伏線かと思わせといて実際は何でもなかったし、テーマを台詞で説明しすぎなきらいがある。やっぱり脚本は吉田玲子か奥寺佐渡子に任せるべきでは…。
細かいところで言うと、くんちゃんが犬になるシーンや子ども時代のお母さんと一緒に家の中を荒らすシーンは、過剰に思えて結構引いてしまった。鬼婆のギャグもやたら繰り返す割りに笑えなくて辛い(そもそも、ああいうデフォルメされた絵面は細田作品との相性が悪いのでは?)。
冒頭の家々の俯瞰映像や魚の大群、くんちゃんが車窓から見る列車の数々など、時折モロにヌメッとしたCG感満載のタッチになるのも苦手。あと、予告見る度に思ってたのが、謎の男(=犬)に初めて出会う場面の背景美術が、『バケモノの子』で九太と熊徹が剣の特訓をしていた場所に地味に似ているということ。おそらく偶然なんだろうけど。

逆に好きだったところ・良かったところ。
実際に建築家の谷尻誠さんが手掛けたらしい"家"の奇妙な空間設計は素晴らしかった。壁ではなく階段で部屋が仕切られているので、登場人物の動線に通常の家とは一味違った面白さが生まれる。お父さんが家事にオロオロし、くんちゃんがゴネるのを時間経過と共に斜めパンで捉えるのは細田監督らしくてかなり好き。欲を言えば、後半にかけてもっとあの家の空間を活かすような展開にしてほしかった。
また、4歳児描写にはさすがに拘りを感じる。小さい子どもさんと触れ合う機会がないので実際のところはよく分からないけれど、くんちゃんは細かな動作に至るまで生き生きとしていて、実在感があった。赤ん坊のミライちゃんに絵本や鉄道カードを見せたり、じいじの撮ってる動画に異様に映りたがるのが可愛らしい。叱られた際、自分が悪いのは分かっているが、もう後には引けないのを悟りしつこくぐずるのもリアル。ひいじいじと出会うシーンでのアタフタ加減とか、拗ねて部屋の隅に隠れてるのに誰も探しに来ないので「くんちゃんいなくなったよっ」と自分で言っちゃうのとかも微笑ましい。
終盤登場する立体感のない駅員と時計のコンビも楽しいし、"東京駅の地下"の場面でくんちゃんを妖しく照らす赤と水色のライトも好み。その上、エンジンの轟音や雨音、話し声とアナウンスでごった返している東京駅等、音響演出にも唸らされた。
上白石萌歌の声は4歳児っぽくなかったが、演技のアプローチとしては決して間違っていなかったと思う。麻生久美子はお母さん役が抜群に板についていて流石。星野源演じるお父さんが、家で仕事をしている最中いくら話しかけられても「んー」って適当に相槌を打つだけで、何も聞いてないのは"親あるある"。福山雅治の声だと、どう演じてもただの福山雅治になっちゃうんじゃないか不安だった"ひいじいじ"だが、ところがどっこいよくハマっていた。彼の特徴的な声がいい方向に作用していた気がする。

ということで、期待していただけに残念なところも少なからずあったが、全否定するかの如く叩かれているのはちょっと違う気がする。本作を経た細田監督の次回作には期待したい。
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