hajime363

ボーダーライン:ソルジャーズ・デイのhajime363のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

Sicario: Day of the Soldado

Sicarioは暗殺者(蔑称らしい)、Soldadoは兵士。
サブタイとして、追加されてるし兵士がキーワードです。
兵士とは「国家に属する軍隊の構成員」であるという定義を鑑みるに、今回はマット(ジョシュブローリン)中心。一番悩む人。
(カルテルの連中は論外として、テロリストは戦士ではあるかも知れないけど兵士ではない、と解釈してます)

前作に続き“人を殺すこと”がテーマなんだけれど、本作では同時に“殺さないこと(殺せないこと)”との区別も対比的に描いていた印象。

まず前作と比較して特徴的なモチーフは、冒頭で提示される暴力であるテロリズム。これによって、舞台は前作同様にアメリカとメキシコの国境なんだけれど、新鮮味(現代性)が増してて凄く前のめりで観られる。

◆作中でアメリカ国防長官はテロリズムを「政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いること」と定義する(直前のシーケンスがアメリカ軍の圧倒的な暴力という…)。“殺すこと”は手段であり対象は比較的無差別である。無垢な母娘であっても平気で殺す。一方で儀式的な美学はある。

◆アレハンドロは前作同様。殺すこと≒復讐の手段。
よろよろ運転からのあのラストは痺れる。如何様にも解釈出来そうで誰かと話したいポイントNo.1な訳ですが、次回作があるそうなので、そこで答え合わせですね。(個人的には、やはりアレハンドロにとって復讐が全てなので国境を往き来できるミゲルは便利な駒になるのかな、とか妄想)
あと、弁護士殺すはシーンは最高ですね。ごちそうさまでした。

◆ミゲルは“通過儀礼”として自ら銃を取る。所々で非常に悩みつつも“大人”になるための儀式が“躊躇なく銃を撃てること”というのは過酷な環境ですね。結果殺せてないところにsicarioとしての欠如がある訳ですが。

◆マット(ジョシュ・ブローリン)は基本的に国益(≒命令)を考えて生殺与奪する兵士ですが、今回は色々悩む…笑
作戦中止に伴い死線を共にしたパートナーを殺すことを命じられ、反発するも受け入れる。無線でアレハンドロに対して作戦中止(≒宣戦布告)を告げるシーンはお互いをプロとして尊敬している様がひしひしと伝わる良いシーンですね。
最後の決断(命令に反して娘を“殺さない”選択をする)については、アレハンドロの遺志を受け継ぐという心境変化のように感じました(ここも色々解釈ありそうだけど)。

本来であれば命令に対し忠実に暴力を行使する兵士という無機質な存在。その在り方を懐疑的に描くことで、人間性の本質について訴求している傑作、という感想です。
と、抽象的にまとめると私の表現力の無さで陳腐なってしまいますが、色々詰まってる凄い良い映画でした!次回作も絶対観る!!!
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