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生きてるだけで、愛。のeyeのネタバレレビュー・内容・結末

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

"生きてるだけで、愛。"(2018)

>わたしは、わたしと別れることができない

寧子が津奈木に対し
「なんで私と3年も一緒にいられた?」と訊くシーン

津奈木は
「綺麗なものがまた見たいと思ったから」と伝える

自然と寧子のテリトリーに
入り込んでいるも

「もっとちゃんと分かりたかった」

と語る

物語は2006年に発表された
同小説の映像化作品

何かを演じるという
芝居の醍醐味を見せつけてくれた映画

板垣 寧子は
気持ちのコントロールがつかず
自意識も強く 真っ直ぐな人物

"布団の中に広がる暗闇"

の絶望感に全身全霊で生きてる

加えて定期的な鬱から来る
過眠症で引きこもり気味

社会と交わらず
終始空回りしている

かたや津奈木 景も
社会に対する苛立ちや
圧倒的な諦めをもちつつ

抑揚のない
ボーッとした感情の中で

"目が死んでいる"

その反面
内に秘めた優しさがあり
時に無関心を絶妙に組み合わせ殺伐とした雰囲気を醸す

こういう人間がキレると
『怖い』っていうのは
劇中で描かれている

感情のアップダウンの中で
寧子が爆発したときの
虚無的な受け止め方も印象的

この映画は寧子の
「ただの自意識過剰の自堕落メンヘラ女のふざけた日常生活」

ではなく

社会と心身のバランスが取れないながらも末端から這い上がりを見せる物語

寧子自身にあるべき考えや
想いを示してるだけと言える

周りとの心理的距離を測れないから更にもがき苦しんでる

現代の概念で言う

"空気読めない人"

と関わってくる

発達障害っていうのが近いか

寧子も津奈木も使ってる言語が違う

だから

分かり合うこと・交わること

は決してない

津奈木は寧子を受け止めないから

2人は

"表面上 上手くいってる"

実際の根幹は

2人は全く噛み合ってはおらず

"完全に破綻している"

2人の部屋すら分断され

綺麗好きな津奈木に対し
寧子の部屋はぐちゃぐちゃ

生活のリズムも異なる

その歪な関係性の中で
一緒にいたのは

『互いに互いを必要としていたから』

四苦八苦もがきながら
何度も立ち上がって自分と向き合う

感情から沸き立つ

"叫び"

それが見事に表現されている

>ほんの一瞬だけでも、分かり合えたら

2者関係「わたし」と「あなた」の中で正面から想いを受け止めようとしていく

2人は向き合わないから
上手くいってたのに

「もっとちゃんと分かりたかった」と向き合うのは明らかなバッドエンド

一方で繊細な2人は別れることで

"人間的な成長が出来る"

とシーンから伝わる

2人の心情を吐露するシーン
屋上に風で揺れるボロボロの旗も
不安定さを映し出していた

冒頭母親がハダカで
ダンスするシーンを夢にみる

ラストはその母親と寧子が
同一化するのも印象的

真っ正面から絶望している姿を
見せてくれた津奈木と寧子に
感謝せずにはいられない

結末は観る人に委ねられる

"人と人のつながり"

という密かなテーマに加えて

異なる視点のラブストーリーを
体験したい人へ送られる映画

※芝居の観点から見ると
津奈木の元恋人である安堂の爪痕を残す芝居は気持ち悪くて脱帽
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