【どこか希薄】
期待して劇場に足を運んだせいか、やや足りないかなという印象を受けました。
どうしてなのかを考えると、物語の作りに問題があるのだと思います。
活動写真の弁士になりたい男の子と、女優になりたい女の子が登場するのはいい。
問題はその後です。
泥棒稼業とか、小屋同士の対立や引き抜きがメインになる必要があったのか。
あくまで正攻法で行くべきではなかったか。
弁士の苦労や技術、映像技師の苦労(これはちゃんと描かれていました)、女優になるための苦労(これはほとんど出てこない)。ライバル関係にある小屋同士の競争を、ああいう形ではなく描くこと。ああいう形というのは、「善玉VS悪玉」じゃなく、ということ。この映画のような筋書は物語を薄くするだけです。
ラストがああいう場所だってのも、なんだかなあ、ですね。
むしろ、ラスト近くで永瀬正敏の言うセリフにわずかに表現されていたように、トーキーの登場によって弁士という職業そのものがなくなり、また映画を上映する側の経営形態などにも変化が生じるというところを最後にしっかりと描くべきではなかったか。
作中、同じ活動写真でも弁士の話術によって味わいが異なってくるシーンがありました。そういうシーンがもっと欲しかった。
サイレント映画と弁士という組合せは、日本独自の文化だったらしい。そのことはこの映画のエンドロールでも某監督の言葉を引いて指摘されています。そういう文化を、やがて滅びていく時代をも含めてもっと豊かに表現できていたら傑作になったろうに、と惜しい気持ちで劇場を後にしました。