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フェイ・グリムのotomisanのレビュー・感想・評価

フェイ・グリム(2006年製作の映画)
4.0
 フェイ母さんの願いは、益々父親似になってきたように見える息子ネッドに父親代わりの誰かをあてがう事なのだが。しかし、何かが叶うとき、別の何かを失うか被らねばならないのが悪魔から「進化」したらしいヘンリーと関わってしまったグリム一家の定めである。
 当の父親ヘンリーは7年前に殺人容疑が係る中サイモンの手引きで国外逃亡して行方知れず、逆にサイモンは逃亡の幇助で牢屋入り。誰が息子のスクール・フェラを止められよう。

 解決は簡単。ネッドが退学すればいいわけで、ついでにクイーンズから出てけというのが世間の風の冷たいところだが、フェイはそれに対してサイモンが牢屋から出てくればいいと発想する。そして、ネッドの父親代わりになってネッドに流れるヘンリーの血の作用を牽制してくれという事だ。
 出ろで出られるわけがないが意外な取引材料がCIAからもたらされる。それによると、ヘンリーは当の昔に死んでいて、その遺稿ノート「告白」がフランスにあり国の安寧のためにフェイに引き取って来いという。そして、この仕事と引き替えにサイモンを保釈してくれるという。
 司法の通例を度外視する指示が大統領辺りの判断で行われるのは察しの付くところ。遺稿を引き取るだけと聞かされるが、どう考えてもワケありな仕事だろう。すると、大統領が天秤に乗っかるのらくらヘンリーとはどんな大物なのか、その大物がなぜのらくら者になるのか、ひいてはヘンリーとは誰なのかに再度関心が及ぶ。
 スパイ屋としてのバイオグラフィーはさて置くも、ヘンリーの始まりはペルーで某所図書館長の座を狙う恐らく文献学者かなにかで、ボルヘスみたいな者を想像すると少し箔が付くだろう。それが左派政権の発足を転覆させる工作に関与したものの、割り込んだ軍のクーデターで全て覆り、米諜関与で逮捕拘束、拷問を受けて半壊状態のまま米系スパイ道に転落という。なるほど、詩文にも詳しいわけだ。
 しかし、そうした発端以上に、スパイ道を流れ流れて最後に関わったアフガンの「イスラム指導者ジャラール・カーン」プロジェクトのディレクターに就いたその行く末こそ、フェイの今日に結び付き、かつ、ヘンリーがどういう者か炙り出す上で興味深い。と言っても、話は単純で、ジャラールとサイモン、両者のヘンリーとの関係が相同ととれるのひと言に尽きる。

 1989年のアフガン、対ソ戦争の末期にあって、アメリカが土着勢力に肩入れするなか、ヘンリーは当時何の取り柄もなかったジャラールを仕込んで反抗勢力の中心人物に練り上げる参謀役を担ったと想像される。やがて、ジャラールもサイモン同様、自力に目覚め、あるいはヘンリーが思った以上の才覚を働かせ何歩も踏み出した地位を築くようになり、ヘンリーに頼る場面も減りやがて彼が荷厄介になっていった事がうかがわれる。
 駄馬に穴馬の才を認め育ててまさかの大本命に羽ばたかせる名人。同時に酒癖女癖非常識、なにをとっても社会不適合な参謀だったろうが、どのみちアフガンでありクイーンズであって世界の辺境での事、ネジでもタガでも緩んでようとさしたる事はないのである。
 本命馬は、彼のそんな本質を洞察したかはともかく、彼の価値とよって受けた恩沢がよく分かっている。だから十何年も経ていまさらな居候も受け入れる。けれども、それも7年におよび、一個人のサイモンと異なり、イスラム指導者で軍司令官であるジャラールは彼からひとり遠ざかるわけにはゆかず、その堪忍袋も緒が切れそうという事らしい。
 おまけにフルブライト発案のヘンリー告白書に似せた作りの思わせぶり暗号文書による偽書工作が流行り物のように裏外交界に広まって、おそらく各方面、大向こうからの不興を買ってるのだろう。ただし、不興を覚える者あれば、それを喜ぶ側あり。両者間の偽書争奪に不興サイドの団結が米フルブライトをはじめとする仏英露猶土連合となり、そのあおりは今、事の震源、ヘンリーに向かって収斂しつつあるらしい。
 【反「偽書をエサにした諸工作」】+【偽書の黒幕に仕立てられつつあるヘンリーへの始末】の波が収斂すると何が起きるだろう。もちろん言い掛かりに等しいが、そのように読むとヘンリーの哀れもひとしおだ。
 ただ、こうしてシビアなエスピオナージュの様相を凝らしてはいるが、そもそも、もったいぶってスパイ衛星の航跡を暗号化して筆耕し、どんな諜報のエサにしたのか?北朝鮮に原爆資料として入手させてなにを宛て込んだのか?肝心な工作の眼目には全く触れずに今はただ、ヘンリーを始末して事を収めたい各国担当者の冷酷な思惑だけが見え隠れする様子が、一市民のフェイの目線で眺めるなら、敵味方の色分けも定かでない、うわべの振る舞いと底意も一致しないかもしれない諜報現場の混沌の誰が死のうとお構いなしとばかり神経に障るのだ。裸でオオカミの群れの中におかれたような有様も猶太のジュリエットなら、世界の仕組みに裏側があると気付いて然るべきところを知らぬ気に躱して生きる普通人らしい反応となる。そんなフェイが普通だから、ジュリエットの存在する特別さも確固となるのだろう。
 しかし、露に加担する仏のアンドレ、それを斃して出し抜く猶のジュリエット、そこを待ち伏せたトルコ・ボーイに相次いで振り回されたフェイが、第2のフェイとも言うべき盗人スッチー・ビビと出会い、さらにサイモンからヘンリー生存を告げられた事から本性の向こう見ずが蘇って来る。

 ヘンリーを訪ねるという当てがあって無いような話にフェイが我勝ちに歩を進め始める成り行きが、冷酷なプロたちの辣腕を凌駕し始めるのである。しかし、サイモンの一報がなくそのまま帰米していれば何故かスパイにモテるフェイで済んだろう。ところが、フェイは疫病神なヘンリーへと導かれる。あれは恨み言の一つも浴びせたいのか口づけ責めにしてやるのか何なのか。
 こうした物語運びには魔物が潜むような具合であり、調子のよすぎるのを庶民の街、古物商、舞台も小道具も古色を凝らしうまく取り揃えてうねうねした運びだが、悪い肉でもハーブを利かせてと、そこが監督流なのだろうか、いいのである。
 そうしたサイモンによる予想外の一石からプロも接触困難なジャラールとの会合に至り、ジャラールからヘンリーの身柄を託される運びともなるのだが。プロたちの冷血ぶりをコケにしたようなフェイの逆転、暴走はまるで六か国諜者の一括爆殺テロの原因であるかのように物語はフェイを窮地に追い込んでいく。
 その直前にフェイが諜者団にビビ解放を迫る中、ハッタリでホテル爆破をフルブライトに吹っ掛けた事がテロ行為を表明したものと受け取られてしまうのも、その動機の裏にヘンリーあるいはジャラール逮捕の妨害に結び付けられる状況がある事、そしてその行動の選択はフェイ自身がサイモンからヘンリー生存の報を受け、帰米を止めてイスタンブールのジャラールのもとに向かった事に由来している。
 このつながりが、またしてもヘンリーに端を発する事であって、つくづくヘンリーに接触する者はサイモンやジャラールのように最初の一人だけ法外な利益を得られるが、二人目以降はみな被害しか被らないのである。それが、フェイであり、コソ泥から架空テロリストに祭り上げられたビビである。ふたりとも何が悲しくてヘンリーに恋してしまったのだろう。

 この薄情な物語でヘンリーはつんぼ桟敷におかれたまま、とうとうビビにもフェイにもサイモンにも会う事はない。ジャラールの手筈に乗ってイスタンブールを発ち偶然にもサイモンがビビから落手した「告白」を引き取って消えてゆく。そこで気付くのはジャラールが自身の高飛びの囮にヘンリーを使わないらしい事である。テロリストの親玉はヘンリーに見いだされた十数年前の素顔をこのように示す。それは、世界のほぼ全てにとって疫病神のようなヘンリーにおいて唯一な存在であったジャラールからの誠であり、サイモンが7年前取った捨て身の行動と同じ事なのだろう。
 一方、同じ7年前の機上でヘンリーをサイモンと早合点したのはビビのビビらしさに違いないがフェイ同様彼女もわけも分からないままテロリストとして死んでしまう。それを目の当たりにした暴走フェイも冷や水を浴びた気分だろうが、まさか六か国諜報団を一掃した大暗殺者に自分が目され、それがため是非にも生け捕りを望まれている。つまり、スケープゴートとして裁きの場に引き出されるべく、命を保証されたとは思いもしないだろう。しかし、まともな世界はヘンリーをまた失い、一連の悪い諜報活動に大手を打ち込む先としてフェイに頼まざるを得ないのだ。
 そんなことは想像もつかぬまま波止場でひとり、クイーンズのシングルマザーがヘンリーを追う手探りの末にいまや世界の裏側に触れた報いで崖っぷちに佇んでいる。命の保証があろうとなかろうとまたヘンリーを見失ってフェイのなにかがそのとき死ぬのではないかと思った。それは、ヘンリーとは何かに関わるが確かな事は何もないだろう。
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