雷電五郎

HANDIA アルツォの巨人の雷電五郎のレビュー・感想・評価

HANDIA アルツォの巨人(2017年製作の映画)
4.0
戦争へ駆り出された兄マルティンが故郷へ帰ると弟ホアキンは先端巨人症を患い、図抜けた高身長に成長していた。
銃に撃たれて片腕に麻痺が残ったマルティンは仕事に就くことも農業を手伝うこともできず、ホアキンを見世物の興行へ連れ出すことを決める…

あらすじだけを追えば止むを得ないとは言え兄の無慈悲さに腹立たしくなるのですが、実際の作品はまったくそうではありません。
巨人症という当時は奇異の目で見られていたであろう病の過酷さよりも、終始兄と弟の間にある繋がりにフォーカスし、歪でありながら互いに対する愛を根底に抱いた兄弟の姿を描いた作品です。

終盤、さびれた村の酒場に巨人の宣伝をしに行ったマルティンにある酔っ払いが「巨人は片腕で使えない奴だと聞いた」と語ります。
片腕が不自由なのは兄のマルティンであって弟のホアキンではありません。マルティンは一瞬憤ったようにそれを否定しますが、興行をともに歩み続けた兄弟は最早人々の話の中で一体の存在となっているかのように息づいていたのです。

アルツォの巨人とはマルティンとホアキンが2人で作り出した「蜃気楼」であり、変わらぬものと変わりゆくものの象徴として描かれています。

吹雪の中で抱きしめ合う2人。
俺をうまく使え。アメリカへ行きたいんだろと言う弟にただ、帰ろうと答えた兄の言葉と凍える体を抱きしめさする小さなマルティンに嬉しそうに口元をほころばせるホアキン。

セリフは少なく哀切な音楽と美しい景色で構成された映画で、登場人物の心情は多くを画面から読みとらねばならないので、伝わりづらい部分もあるのでしょうが、兄と弟の感情が時にこじれ絡み合いながらも初まりの場所であるアルツォに帰結するラストに胸が締め付けられました。

消えたホアキンの遺体と謎の遺産をかんがみるに、ホアキンは科学的研究に自身の遺体を売ったのではないかと思いました。
それもまた、消えてゆく蜃気楼のさだめであり、蜃気楼によすがを求めて手を伸ばしたマルティンの元に何一つ弟の痕跡が残らなかったことも皮肉めいていて切なかったです。

スペインや南米の映画は静かで深く、まるで底のない湖に沈んでゆくかのように心に染み渡る作品が多くて好きなのですが、この映画もとても美しくて切ない作品でした。
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