試写会にて。
1950年代。法大学院を首席で卒業したルースは、女だからという理由で弁護士になれずに大学教授となる。しかし弁護士になる事を諦めないルースは、理解のある夫の協力を得て、1970年代に法律に潜む性差別を改正しようと一歩を踏み出す。
たった50年前の実話だ。
しかし、されど50年で人々の価値観も変わる事をこの映画で身をもって知る事になる。
女性はクレジットカードを作れない。大学院にトイレもない。弁護士になれない。男性が多い職場で妻に嫉妬されるからと働けない。残業が許されない。
法律は男性が作り、その当時の人間の価値観で作られた法律と判例で裁判がなされていく。
今回対象になる裁判は、独身男性をも想定しない法律というのがキモである。
女性を差別しているのではなく、男性も差別されているのである。
"普通は介護は女性がするもの"という固定概念がそうさせている。
時代は変わっているのに、法律は変わらない。法律とは一体なんなのか?
男性ばかりの法廷の場、味方でさえ古い価値観の男性で、女だから微笑め、可愛くない女などと心無い言葉をかけられる。
そんな中、性差別を無くそうともがくルースに、女性なら勇気をもらえるはずだ。
この映画の中で、性差別の法改正(裁判)に反発する男性たちは言う。
「女が社会に出たら、家に子供が帰ってきたときに家に誰もいない。それでいいのか?」
「私たちはむしろ女たちを法で守ってやってるんだ」
「この裁判でこの先のアメリカの家庭が変わってしまう」
50年経って、社会は変わった。
日本も専業主婦は減り、男女ともに働かないとむしろ生計を立てられない家庭が増えてきた。
彼らの言う事は誠にその通りだと思った。性差別はある意味で女性を守っていたのだ。しかし、自由と権利を奪っていた。
変革は"突然"ではない。
不満や疑問の積み重ねで、変革が訪れる。
その変革の象徴として、ルースの娘の存在がある。
新しい時代は、その時代の人間が作っていく。彼女が颯爽とタクシーを止めるシーンが非常に印象的だった。
理解がありすぎるイケメン夫アミー・ハマーはカッコいいし、主役のフェリシティ・ジョーンズのスタイルがまた可愛い。
彼女の口紅の色の変化をよく見て欲しい。
勇んで突撃するときはレッドブラウン、穏やかなときはピンクブラウン、勝負の時はベージュである。性差別を無くそうともがくが、性をなくしたいわけではない。
女性としての品格を保ちながら信念を曲げない彼女に、勇気をもらえる作品だった。社会が変わる一歩をぜひ見てみて欲しい。
邦題は正直マネーショートやドリームなみの雰囲気邦題だが、原題を考えるとしょうがないのかも。