蛇らい

ジュディ 虹の彼方にの蛇らいのレビュー・感想・評価

ジュディ 虹の彼方に(2019年製作の映画)
4.5
ジュディ・ガーランドという人物がなぜこんなにも愛されているのかという問いに、大切な人や物を、観客を、世界を、そして自分自身の人生を愛したからだと真っ向から描き切った力作。

ジュディ本人へ向けたラブレターであると同時に、我々観客と一緒に肩を並べて彼女の人生を讃えようという心意気を感じる。それは監督や役者のみならず、撮影、編集、衣装、美術からも確かに伝わってくるのだ。

ジュディは『オズの魔法使い』の撮影時(17歳)までに今後の人生の運命が紐付けられたと言ってもいい体験をしている。彼女がLGBTQのシンボルとなったこと、薬物やアルコール依存、遅刻癖や情緒不安定、浪費癖など多難な人生を歩まざるを得なかった出来事ばかりだ。

47年で幕を下ろした人生だが、本当ならもっと早くに亡くなっていてもおかしくない。47年のうち45年を女優・歌手として命を燃やし、灰になるまでステージに立ち続けることがどれだけ苦しいことなのか、そんな試練を与える権利が誰にあろうかと思わずにはいられない。

LGBTQの理解者、シンボルとして世に浸透した彼女。出演していた作品の監督やパートナーが同性愛者であったことが影響していると言えるが、1番大きな影響はゲイであった父の存在がある。母は父がゲイであることに理解を示さず、時には罵ったりする場面をジュディも見ていたらしい。

そんな辛い過去であるなら記憶の奥底に沈めておくこともできるはずだが、世の中に積極的に発信した。それは辛い過去を経験し、知名度がある彼女だからこそヒーローになり得たのだ。人間としての強さがなければ決してできないことであり、LGBTQの考え方に寛容でなかった時代に発信したことが当事者の人々にとってどれだけ勇気と元気を与えたのか計り知れない。

『オズの魔法使い』当時から覚醒剤が頻用され、彼女の体はズタボロにされる。劇中でもうまく眠れずにもがくシーンや、精神的に疲弊しているシーンがあり、見ていてとても辛くなる。おそらく遅刻癖や過剰な心配性(バスルームで小声で発声練習をするなど)なのは確実に薬物の弊害であると思われる。ただでさえ人前に立つという精神的な疲労がある上に、身体のバランスが乱れまくっている。

浪費家であることも幼少期からステージに上げられ、多感な時期に母親から抑圧されていた反動ではないかとも感じる。無理なスケジュールを詰め込み、自由を許さなかった母親からの束縛が少なくとも影響している。

映画的な側面から見ても素晴らしい作品だ。彼女が10代の頃のシーンは全て撮影スタジオの中で完結している。MGMの代表が彼女と今後の大事なことを話すシーンや、ボーイフレンドとデートしているのかと思うシーンも実はカメラを引くとそこはスタジオで映画の撮影中である演出がされる。完全に自由から隔離された世界を狭いスタジオを使って表現している。それが『オズの魔法使い』で使われたセットなので、華やかで幻想的な色使いがされていてとてもアイロニカルだ。

他にもセクハラや性的暴行を受けていたようだが、劇中でその部分は描かれていない。それは、彼女が愛される理由が人々の単純な同情ではないことを語るためなのだ。

子どもたちが眠れないらしいからホットミルクをあげてという優しいシーンと対に、睡眠障害を患っている彼女の元には、ホテルマンがホットミルクをお持ちしますかと声がかけられる。

体を壊す薬物摂取と「耐えられないなら、あのゲートから出て、普通の世界に戻ったっていい」というような罵倒とは対に、身体を慰るビタミン剤と「自分の体を大切に」という敬う医師のセリフ。

撮影中の偽物のケーキとは対に、おいしいわとうなづきながら食べる本物のケーキ。

涙する同性愛者を抱擁するシーンと対に、ラストに立ち上がり、『Over the Rainbow』の口火を切るシーン。

これらは全て彼女が愛すべき人を愛し、懸命に生きた証であり、自分で切り開いた故に見えた景色であることが明示されている。愛されるということは決して受動的な概念ではく、愛せる人が愛されるのだという事実を教えてくれる。それはとても能動的で美しい姿なのだと身をもって表現してくれる。

張りぼての黄色いレンガの道の先は、彼女の思っていた景色とは違うかもしれない。けれど、あの一夜にたどり着いた事実は紛れもなく、本物の人生を歩んだ証である。命を燃やし、愛されることの素晴らしさを歌に乗せ体現した彼女を、スポットライトは永遠に照らし続ける。
蛇らい

蛇らい