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愛がなんだのeyeのネタバレレビュー・内容・結末

愛がなんだ(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

"愛がなんだ"(2019)

『どうしてだろう 私は未だに田中マモルではない』

マモちゃんに同一化する夢は決して叶わない

そして

テルちゃんの無条件の愛はマモちゃんには決して届かない

公開後Twitterで今泉監督がこの映画について『セフレ映画』と称されたことに苦言を呈してたけど

テルちゃんは単純に性的に結ばれることを目的とはしておらず

それよりも同一化を目論んでる

これはテルちゃんのマモちゃんへの変容した生欲動を描いてる

なのでこのストーリーを
『セフレ映画』と称する結論づけるヒトはさすがに短絡的すぎる

テルちゃんはとにかくマモちゃんにくっつき続けるために

合コンで知り合ったイケメンですら利用するテルちゃん

しかし、すみれさんにはその行動の裏がバレてる

個人的にすみれさんのテルちゃんを見つめる視線の先が痛かったし

テルちゃんがマモちゃんを見つめるその視線の先も切なかった

この映画を観て感じる

"人を好きになること"っていったい…

という哲学的問答に至る

恋愛には正解やら不正解なんてものは存在しない

匂いで好きになることもあれば
顔で好きになることもある

はたまた内面に惹かれることもある

パズルのピースがカチッとハマるようにフィーリングが合う場合もある

テルちゃんの場合だと

"手が綺麗"

から始まる稀有なパターンもある

しかしここまで一方的に
しかも無条件に相手を愛する行為は滅多にお目にかかれない

・携帯が鳴れば秒で出る
・呼ばれたら内心嬉しいのに
涼しい顔して現れる
・カビキラーで
風呂掃除始めちゃう
・深夜自らビール買いに行く

劇中ダメ男マモちゃんの一挙一動がけっこう女ゴコロくすぐってる

お風呂に一緒に入って
髪の毛でユニコーン作るとか

追いケチャップとか

一緒に寝てて
足ぶつけてイチャつくとか

ちょいちょいニヤニヤしちゃうシーンが組み込まれてる

マモちゃんを欲するテルちゃんの生の欲動を突き詰めていくと

マモちゃんを愛してるようで
実はマモちゃんを好きな自分を愛してるナルシズム 自我リビドー 

純粋に異性として
マモちゃんに向かう 対象リビドー

その両欲動が描かれるも

マモちゃんに振り向いてもらえなくても死に向かうエネルギーは現れない

厳密にいうならば

テルちゃんは生の欲動と死の欲動が拮抗する場面は見られない

この欲動が拮抗するときヒトは
"病気"になる

後半テルちゃんは体調を崩すシーンがやってくるが

部屋での会話を経ても

マモちゃんに
対する想いに疑いはなく

御神木のように全く揺るがない

同じような想いを持つナカハラくんは相手に対して"疑い"を持ってしまうので防衛本能から離れていく

葉子さんへの思い入れが強いナカハラくんがこのまま追いかけ続ければ

相手に向かうか自分に向かうかで
何らかの病気になる可能性は高い

この映画のラストには

テルちゃんと象のシーンを映す

この哲学的なシーンの意図について

「群盲象を評す」と監督は語ってる

正しいと信じて疑わない
自分(テルちゃん)の主張は

全体から俯瞰するのではなくその一部でしかないという盲点に気がつかない

すなわち 『木を見て森を見ず』

ひいては他の主張を批判してしまう

そういう虚しさを観衆に訴えかける

もはや視野の狭さすら超越している感じはあるが…

最終的に幸せになる人物は
ストーリー上に誰1人と現れない

だけど

妙な爽やかさがあって
楽しさや寂しさを体験できて
様々な恋愛模様を教えてくれる

そして想いの違いを痛感させられる

と同時に

恋にひたすら走り続ける
テルちゃんの着地点は現状維持

恋愛を淡く儚く絶妙なバランスで
描き続けるコントラストは必見
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