天豆てんまめ

ヘイト・ユー・ギブの天豆てんまめのレビュー・感想・評価

ヘイト・ユー・ギブ(2018年製作の映画)
4.5
生きる理由は死ぬ理由だ。

お腹の底から魂が揺さぶられるという感覚はこのことなのか。この作品を適切に語るのが難しい。自身が経験できない遠い、でも現実に起きている世界を語ること。どうしたらその距離を縮めることができるのだろうか。

端的に言えば、幼馴染を目の前で白人の警察官に射殺された黒人の女子高生の葛藤と信念と表明の物語。

でもこの作品で描かれるのは単なる黒人差別の物語ではない。

今も尚根底に流れ続けるヘイトの連鎖の重さ。それは祖父から父から息子からまたその先へ永遠と続いていく。それを断ち切るのがあまりに難しい現実。

主人公のスターは目の前で起こる現実の中で突き付けられていく。彼女は地元はドラッグや殺人が日常に流れる黒人低所得者層の地域で育ちながら私立に通う女子高生。別の私、スター2として。。

父は元々ギャングの元締めキングの右腕だが今は足を洗い家族のために日常雑貨を売る店を切り盛りして地域を支えている。その代償としてキングの身代わりに3年刑務所に代わった過去ももつ。

スターの義兄弟のセブンは父親とキングの妻と過ちによって生まれ一緒に育っている。そして愛くるしい末っ子のセカニ家族の光と喜び✨

母親は娘に過去を連鎖させないためにスターは私立の学校に通い彼女はスター2として白人学園コミュニティで自身を消している。愛想よく彼らの浅はかな黒人スラング等を冷めた眼で見ながらも壊さないように壊さないように。そこで白人の彼もできていて彼の恋愛の行く末もまた味わい深い。 

この映画には社会派映画の側面とは別に青春映画、恋愛映画、学園映画、家族映画、音楽映画と全てが奇跡のようにハイレベルに融合している。

そしてスターを演じたアマンドル・ステンバーグの迫真の演技・存在感・笑顔・カリスマ性が圧倒的。21世紀通じての大スターからアカデミー賞主演女優賞を何回か取るような大女優になる可能性を感じます。ジェニファー・ローレンス以来の衝撃。

そして起こる一つの事件。幼馴染のカリルが黒人であるから殺されたあの瞬間。白人警官の偏見。そして罪にさえ問われない不条理。誰にも言えず日々加速するメディアの報道と地域での衝突、偏見の恐ろしさ、デモ行進、変わる友人関係、身を隠すか、表明するか、父の怒りとキングとの確執、狙われる命、白人で恋人クリスとの葛藤(彼が素晴らしいのだけど、もし自分だったらと感情移入する恐怖と信念と愛が試される指標となるかもしれない)そして親友から浮き彫りになる偏見、スターの日常世界が全て変わっていく。でもそれは目を閉じてあえて観なかった真実。

過去を断ち切って贖罪をし家族を守ってきたあの父親の怒りそして信念、一刻一刻と緊迫感を増していく中で彼の苦悩と葛藤と怒りの重み、子供たちに伝えてきたこと、白人警官に車で止められたら、ダッシュボードから絶対手を離すなとの言葉の重み。そして人間として誇りをどう貫くかの教え。「生きる理由は死ぬ理由だ」をまさに体現する姿。ファミレスの姿が胸を抉る。

その父を心から愛する母の姿、そしてどこまでもスターを守ろうとする強さ。2人の姿からも多くのこと教わるようだった。

そして実際に銃弾に倒れたラッパー2PACのthug life (サグライフ)の意味が作品でキーになる。

子供たちに与える憎しみが全てを蝕む。

その哀しくもあまりに重い、怒りの、憎しみの連鎖はDNAに刻み込まれるかのように継承されることの恐ろしさと哀しみも突き付けられる。

もう中盤からは息もできないほどに、まさに固唾を呑んで彼女の葛藤全ての感情を受け止めて何度涙が溢れたかわからない。

そしてクライマックスのあの憎しみの果ての連鎖の末、一番小さなあの子の姿に嗚咽が止まらなかった。

正直、語るのが難しいと言ったのはこれは当事者でないとその怒り、その哀しみ、その憎しみ、その恐怖を感じることが絶対できないから。そしてその地域、その家族、ずっと生きてきた環境が全く違う。誰の立場にもあまりにも遠い。

でも、それでも想像したいと思った。

もし自分があの当事者のスターだったら。

もし自分が父親のように生きてきたら。

もし自分が黒人であの地域に生まれたら。

もし愛する人が差別によって殺されたなら。

もし小さい頃からずっと悲劇を見続けていたら。

もし犯罪に手を染めなければ生活できない程困窮してたら。

もしギャングに目をつけられて協力しなければ家族の命が狙われるなら。 

もし妻が、もし夫が、もし息子が、もし娘が、もし恋人が、もし親友が、もし誰かが、もし自分が、、、そこにいたならば、、

果たしてどんな感情になるのだろうか。

恐怖に押しつぶされてしまうのか。  

周囲に同調してしまうのか。

家族を言い訳にしてしまうのか。

怒りに荒れ狂い行動してしまうのか。

どういう信念で貫き、何を表明するのか。

その全てのリスクを受け止めるのか。

憎みと哀しみを超えて許すことはできるのか。。

どう生きて、どう死ぬのか。

その問いを全身全霊で受け止めて立ち向かった彼女の姿は単なる一作品を超えて観ている者の自分の心の奥底の弱さ、恐れ、不寛容、無意識の偏見、防御本能、不安を炙り出し直面させる。

その上で彼女の喜怒哀楽全て感情を120分ずっと見続けた時、微かに見える自身の中にある灯。力の根源のようなもの。勇気なのか、愛なのか、信念なのか、生きる理由、死ぬ理由、その唯一自身を暗闇から救いあげてくれる、自分にしか引き出せない強さを見出すきっかけを与えてくれる作品となるだろう。

他人事にならざるを得ないほど縁遠い世界をどこまで自分事で感情移入できるかその心のブリッジを想像力を極限まで刺激されここまで日本にいる私に繋げてくれた映画は、数ある人種差別をモチーフにした作品中でも1番かもしれない。

この作品もまた観る前と観た後で世界が、自分が一変する可能性を持つ作品だと思う。

自分の意思と離れてこの世に生まれて、あと自分の自由意思を掘り下げれば結局、生きる理由に辿り着く。

生きる理由は死ぬ理由だ。

彼の言った言葉が自分にとっては何なのか。その問いを抱えながら生きていきたい。