りょう

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのりょうのネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

[少し加筆] 美しいお話と美しい絵でした。そっちの方は皆さんが語っています。僕も素晴らしいと思いました。以下はそれ以外の話。

これは、精密な工芸品を観たなぁという感じです。江戸時代の漆の蒔絵とかああいうものです。例えば、ヴァイオレットがスカートを持ってお辞儀をする場面。スカートの襞(ひだ)が動作に従って変化する。風に靡(なび)く髪が細く変化する。目のアップで光が揺れ動く。

あるいは音響。百年ぐらい前の木造洋館を歩くと足音に加えて床が軋(きし)みますが、その音が精密に再現されている。

アメリカのCGアニメとは全く違う方向での「リアリティ」を究極的に追求したんだと思います。

『映像研 . . . 』を観れば、アニメは省力化が絶対必要だということが分かりますので、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がいかに贅沢な造りなのか、気が遠くなる気がします。(もちろん省力化の工夫はあちこちにあるんでしょうが。) 蒔絵を見て、なんて贅沢なんだと思う、あれと同じ。

140分間、そういう贅沢な映像と音響に釘付けでした。

あとは、演出も良いですよね。例えば、最後に少佐と浜辺で再会する場面で、普通の映画やアニメなら、二人は駆け寄って包容するはずですが、ヴァイオレットは少し距離を取ったまま、子供のように泣き出してしまい、言葉がどうしても出てこない。なるほど、こっちの方が本物っぽい。

ところで、この声優さん、泣き方が本物っぽいと思いました。確か、テレビアニメの中で、少佐と生き別れになった戦場を再び訪れ、泣き崩れるシーンがあります。「ドラマ的な号泣」ではなくて、本当に少女が「泣きじゃくる」泣き方でした。

また、博物館となった郵便社の職員のおばあさんは、足腰が弱いらしく、立ち上がるのにも歩くのにもかなり時間がかかっていました。この映画では、わざわざ時間を取って、おばあさんの動作を追いかけています。

あるいは、ヴァイオレットが自宅のドアに鍵を差し込む場面。義手の調子が悪いらしく、鍵がうまく鍵穴に入りません。

そのような演出の一つ一つは、単に「凝ってみました、凄いでしょう」というオタク向けの表現ではありません。意味のある表現だからちゃんと表現してあるのです。おばあさんの動作にもヴァイオレットの手にも、感じるところがある。

脚本も見事だと思いました。現代と、ヴァイオレットの生きた時代と、時間軸がふたつあります。もちろんよくあるパターンであって、独創的だと言う訳ではありませんが、効果的だったのは間違いがない。現代から見ることで、ヴァイオレットの話が「昔話」という夢の世界に見えてきますし、一方で、ヴァイオレットと僅かながら関係のある主人公を据えることで、自分にも繋がりのある昔話に見えてきて、懐かしさも感じることにもなります。自分の祖母の知り合いの人生が物語になるのと、関係ない人の昔話では、受ける印象が違うでしょう?

また、この二つの時間軸は、少佐と再開したあとのヴァイオレットと少佐の人生を想像してみる助けにも刺激にもなります。

病床の少年の話も、なくても構わなかったと言えばそうですが、ヴァイオレットの精神の目覚ましい変化を描くことが出来ています。

二つの時間軸か病床の少年を省略して、少佐の心が溶けていく過程を丁寧に描くという手もあったのかも知れませんが、少佐と再び仲良くなるのはヴァイオレットの変化の必然として起こることでしょうから、予定調和で短く済ませたこの脚本は良いと思いました。

最後に、少しだけ気になったのは、音楽の付け方です。管弦楽を使った豪華な音楽で、それ自体は好きでした。ですが、ハリウッドほどバタ臭くはないものの、典型的なアメリカ映画のように「こういう音楽のときはこういう感情」のような音楽による盛り上げ方が直球過ぎた気がします。もちろん作った人々は意図的にやっているはずで、僕はもっと繊細な音楽の使い方が好きだ、という好みの問題に過ぎないのですが。
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