りょうん

マチネの終わりにのりょうんのネタバレレビュー・内容・結末

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

原作を読んだ時ほど引きずらなくて済みそうだ。
耐性ができたのかな。それとも、ほどよくカットされていたおかげか。

この映画、起承転結の「転」はどこにあるんだろう。
物語に要求される「転」は大抵、
うまく進んでいた物事が上手くいかなくなった部分に位置づけられると感じる。

過去に観たことのある映画やドラマ、そして読んだ本の多くに、
「転」で嫌な気持ちにさせられた。
無理やり「転」を作らないでほしいくらい、
物語をスムーズに進めてほしいのに、
どうしても「転」が存在する。

ドラマかなんかでこういう時、
製作者サイドが「転」を要求しているシーンを見たこともある。

起承結でいい。
無理に悪い方向に進めなくていい。



そして原作では、
蒔野が携帯を忘れたあたりの一連の部分が、
どう見ても「転」だと思う。

しかし映画内では、
ここももちろんストーリーが転じている部分ではあるのだけど、
どうももっと後の、洋子の離婚話のあたりが「転」となっているように感じる。

暗い中に光がさしたような感覚。
そして穏やかな結末を迎えることになった。

原作では確かこのあたりも、
事細かに泥沼の様相を呈して描かれて、
スムーズじゃなかったような記憶があることも、
この映画の「転」の違和感なのだと思う。

まだ数冊しか読んでいないけれど、
平野さんは情報量多いと思うので、
本ではじっくり読んで、
映画ではさらっと全体を見通しやすいサイズに収まっているのは、
良かったんじゃないかなと思う。



役を超えて、ゆり子さんの苦痛や悲しみに歪んだ顔を、
見たくないと思った。
それを見て平気でいられるのは、
「自分なら癒せる距離にいる」と思える人だろう。



それにしても、クラシックギターというのはあんなにきれいな音がするのか。
うちにあるアコギ?フォーク?
そのどちらかの区別もつかないくらいギターに疎いけれど、
父親が弾くそのジャブを入れてくるような音と違って、
音が引いて吸い込まれるような、
あの音色にはやられた。

その音から始まる冒頭が、この映画の「名作感」を思わせた。