じょせふ

ジョーカーのじょせふのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.9
ヒースレジャー版とは全く異なる新たなジョーカー像。ダークナイトにおけるジョーカーは完全無欠の悪。人間の本能に従って生きながらも完璧な計画を持って行動する、彼は人々を理解しそして人の弱さを試し攻撃性を煽る。ホアキン版はそうではない。人として致命的に欠落した部分を持ち他人はもってのほか自分すら理解できていない、ビギナーズラックのみでカリスマになった予想外という意味ではまさにジョーカー。言ってしまえばヒース版とホアキン版は完全⇔不完全という対立構造。映画史に残る怪演を披露したヒース版ジョーカーにホアキンという役者の力量のみで真っ向勝負を挑んだ製作スタッフにまずは心からの敬意を表したい、高すぎる期待は一切裏切らなかったし真っ直ぐな心を持ったジョーカー像の描き方は美しくて少し悲しかった。バットマンを凌ぐ孤高のカリスマであるジョーカーに感情移入出来る経験を今後することはないだろう。この評価なのは単純に好きな作風じゃないからであり人々、そして人間社会の脆さを誰よりも正直な男であるジョーカーを通じてあぶり出した脚本、演出には鳥肌がたった。

以下 ネタバレ考察

















結論から言ってしまえばこの映画において悪のカリスマジョーカーは誕生していない。妄想癖があるアーサーの最後のシーンはどうとらえてもそれ以前が妄想であることを示すし、そもそもブルースウェインとの年齢差を考えれば非現実的だし、なんなら日本でいうビートたけし級のスターを殺した犯罪者の護送車が警官一人しか乗ってない車一台なはずがない。
しかし、ジョーカー誕生を描いた今作品はあくまでもジョーカー誕生を描いている。ポイントは3つ。
1つ目、確信犯ではない精神病を患った男が暴動の引き金を引いたこと。
2つ目、ピエロのマスクは暴力の象徴でしかなくマスクを外した人々は電車内で殴りあっている。実際にマスクを被ってはいなかったのではないか。
3つ目、腐敗したゴッサムでブルースウェインの両親が死ぬ。
実際にアーサーがやったのは若手エリートを殺害しただけだと思う。それがゴッサムシティの不満を爆発させ、人々の攻撃性を生み、結果富の象徴であるウェイン氏が殺された。そして残されたブルースウェインはバットマンとなりそのピースを埋めるように最恐のジョーカーが誕生するのだ。
社会性とは恐ろしい、人類の歴史において革命はおき続けた。攻撃性を持った(彼らはそれを悪と認識しない)集団が社会を構成し、もとあった社会基盤をめためたに踏み潰していく。アーサーはピエロの仮面を被せられ象徴にされた悲しき被害者なのかもしれない。
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