天豆てんまめ

運び屋の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
3.8
イチローが44歳で引退した。
イーストウッドは88歳で現役だ。
映画の世界では年齢は超越されるものらしい。日本では山田洋次や宮崎駿の新作も待ち遠しい。

1930年5月31日に生まれたクリントイーストウッドは来月、89歳になる。その年で映画を創り、主演する。老いを表現しているが、スクリーン一杯にエネルギーを放っている。枯れてはいるが、彼は作中、モーテルやメキシコ麻薬王の豪邸で2回、2人の女性を相手にしていた 笑

自分が89歳になっていることを想像できるだろうか?そもそも、生きているだろうか? その気概、その知性、その胆力はなぜ衰えないのだろうか。まるで自分の年齢を忘れているかのようだ。

ストーリーはシンプルだ。アメリカの広大な大地を鼻歌交じりに運転する老人。ただ、彼は麻薬を大量に運んでいる。罪悪感で悩む年でもない。淡々と運ぶ。

家族を置き去りにした数十年、妻からも娘からも遠ざけられた彼が人生の最後で、時間は決して戻ってこないことに気づく。死ぬ前に後悔することは何があるだろうか? という普遍的な問いかけを、先回りしてイーストウッドが体現してくれるかのよう。人生の終幕にあたり、もっと出世したかった、もっと成功したかった、もっと名声を得たかった、もっと金を稼ぎたかった、と悔やむことがあろうか。ただただ、愛する人や家族への想いが溢れるのではなかろうか。愛を出し惜しんだ自身を悔やむかもしれない。

好きなシーンは彼がまさか麻薬運び屋と気づかず、ブラッドリークーパー扮する捜査官とクリント扮する運び屋アールが朝のダイナーで語らうシーンだ。妻との記念日を忘れたブラッドリーに、自分のようになるな、仕事より家族を優先しろと説く。それがクライマックスの悲哀に効いてくる。

失ったものを気づくにはあまりに遅すぎて、しかも自業自得過ぎる老人に同情の気持ちは湧かないものの、クリントイーストウッドに刻まれた皺と眼光の鋭さ、その存在感の凄さを感じるだけで、畏敬の念に絶えない。

新年号が「令和」に決まり、感慨にふける感覚はなかった。むしろ、今日は映画の日、ということが自分の人生には重要でありこの新年号が発表された新年度初日に、早く仕事が上がれて、ほぼ満員のTOHO新宿でイーストウッド映画を観る。こんな幸せなことはない。

あと何回、桜🌸が見られるだろうか。というより、あと何回、イーストウッド映画が見られるだろうか、、その感慨の方が勝る。もうしばらく、私たちを楽しませてほしい。もう少しだけ、映画の奇跡を見せ続けてほしい。