天下の超かぼちゃ王大将軍

ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷の天下の超かぼちゃ王大将軍のレビュー・感想・評価

3.0
「呪いのテイクアウト、始めました」

呪怨の米版。と言うか、日本のあの家から始まるので、派生版と言ったらいいのか。

まず前提として、rakuten TVで音声英語、日本語字幕表記なのに、
レンタルして再生すると吹き替えと言う罠。

言語変更出来るのか序盤で色々試し、結局できずにイライラして見始めた経緯がある。

その感情的な部分で、若干冷静なジャッジではないかもしれない。

結論から言うと、呪怨ではあるけど、呪いでは無いかなぁ。

まぁ言うほど呪怨はオリジナルも記憶になくて、
Netflixのドラマの方が印象強いくらいやけど、
所謂、土着霊ってわけやん、呪怨の伽耶子って。

呪いの根源ってのは、
おそらく「執着」という言葉が必須なんだろうと思う。
モノであったり、人であったり、対象は何でもいいんだけど、
その対象に執着し、悲劇の果てに執着したその対象に縛りが発生する。

執着した対象との縛りによる力。

これが、呪いであり、その呪いを利用したのが呪術である。

そう、呪術廻戦ですね。

執着と言うはつまり依存であり、依存というのは人一人の想いの全てが障壁なく、一方向に流れるベクトル。

偏執的な単方向の力の流れ、負の力の流れ。

これを反転させるのが、術式反転ですね。

そういう事です。

どういう事です?

まぁ呪術廻戦は関係ないけど、呪いとは、という日本独特なのかもしれない概念。

この「執着」ってのが、本作には感じられなかった。

何でかって言うと、日本のあの場所から呪いをテイクアウトして持ち帰って、何故かその家で呪いが定着してるから。

呪いってのは論理でもあると思う。

なぜそこが呪われたのか、という道筋がはっきりしなければならなくて、
それは、ちょっと呪いをテイクアウトしてきたから、ってのでは薄いんだよね。

呪怨の場合は、あの場所である事ってのは凄く重要で、
あの場所に執着の始まりがあり、そこに引っ張られて積み重なっていく。

始まりの執着。

これがテイクアウトでは成り立ちが薄い。

そして、霊の見た目が、ほぼゾンビであるという、悪い癖だよね。

霊の怖さって物理から切り離した方が良くて、
か細い女性だったり子供だったり、現実の力とは反転させた象徴の方が怖い。
男であっても、ガリガリの方が怖い。

ゴリマッチョゾンビみたいな見た目は、ゾンビやん。

殴るの?殴るの?パンチャーならカーフ蹴るよ?

って感じで、今の時代、カーフキックで反撃できるわけだよね。

物理の圧倒って、一つの怖さではあるけど、反撃の余地を想像できてしまう。

対して、霊って基本、触れない、掴めない。

やから、触れそうな印象より、その象徴から、逆の象徴の方が怖い。

まぁこれも、日本独自なんやろけどね。

正直、今回の伽耶子位置にいたおばちゃん、
金髪の白人さんやって、何故か怖くないよね。

呪わなそう。

いや、呪うんやろけど、白人さんでもそら。

けど、人種関係なく、大阪のヒョウ柄着た紫パーマのおばちゃんの呪いは怖いかって話。

特性だよね。

まぁそれも自分内の定義の範囲内で物事を認知してるから、ではあるけど。

まぁ微妙かな。
頑張ってはいたけどね。

むしろ、オリジナルの呪いを展開させた方が良かった気がするよね。
その土地に憑いてる。

呪怨はコンセプトであり、伽耶子そのもの、もしくはそこから派生する必要性は、必ずしも無いと思うし。

とは言え、悪いわけではない。

また、今回吹き替えで観た事で、印象は大きく変わると思う。
字幕派ではあるけど、ドラマは吹き替えでも観たりするし、
ゲームは吹き替え派だったり、字幕原理主義者ではない。

ただ、吹き替えだと、画面を見なくても聴ける分、
集中力が不要になってしまい、飽きやすくなると言うか。

それに、やっぱり浮いて聞こえる。

日本の声優さんも凄いけど、それはそれの味ではあるけど、
映像で演技してる生の人間と、声で演技してる人の演技、ここが必ずしもイコールにはならない感じ?
別々に感じてしまう。

ジャンルによって、全然かまわないけど、
ホラーのような気持ちを盛り上げないといけない場合、
なんかリアリティが欠如するというか、心の中でね。

そういう意味では、今回のRaktenTV字幕詐欺事件はほんと腹立つよね。

勘弁して欲しいわ。700円って結構たけーし。