「呪いのテイクアウト、始めました」
呪怨の米版。と言うか、日本のあの家から始まるので、派生版と言ったらいいのか。
まず前提として、rakuten TVで音声英語、日本語字幕表記なのに、
レンタルして再生すると吹き替えと言う罠。
言語変更出来るのか序盤で色々試し、結局できずにイライラして見始めた経緯がある。
その感情的な部分で、若干冷静なジャッジではないかもしれない。
結論から言うと、呪怨ではあるけど、呪いでは無いかなぁ。
まぁ言うほど呪怨はオリジナルも記憶になくて、
Netflixのドラマの方が印象強いくらいやけど、
所謂、土着霊ってわけやん、呪怨の伽耶子って。
呪いの根源ってのは、
おそらく「執着」という言葉が必須なんだろうと思う。
モノであったり、人であったり、対象は何でもいいんだけど、
その対象に執着し、悲劇の果てに執着したその対象に縛りが発生する。
執着した対象との縛りによる力。
これが、呪いであり、その呪いを利用したのが呪術である。
そう、呪術廻戦ですね。
執着と言うはつまり依存であり、依存というのは人一人の想いの全てが障壁なく、一方向に流れるベクトル。
偏執的な単方向の力の流れ、負の力の流れ。
これを反転させるのが、術式反転ですね。
そういう事です。
どういう事です?
まぁ呪術廻戦は関係ないけど、呪いとは、という日本独特なのかもしれない概念。
この「執着」ってのが、本作には感じられなかった。
何でかって言うと、日本のあの場所から呪いをテイクアウトして持ち帰って、何故かその家で呪いが定着してるから。
呪いってのは論理でもあると思う。
なぜそこが呪われたのか、という道筋がはっきりしなければならなくて、
それは、ちょっと呪いをテイクアウトしてきたから、ってのでは薄いんだよね。
呪怨の場合は、あの場所である事ってのは凄く重要で、
あの場所に執着の始まりがあり、そこに引っ張られて積み重なっていく。
始まりの執着。
これがテイクアウトでは成り立ちが薄い。
そして、霊の見た目が、ほぼゾンビであるという、悪い癖だよね。
霊の怖さって物理から切り離した方が良くて、
か細い女性だったり子供だったり、現実の力とは反転させた象徴の方が怖い。
男であっても、ガリガリの方が怖い。
ゴリマッチョゾンビみたいな見た目は、ゾンビやん。
殴るの?殴るの?パンチャーならカーフ蹴るよ?
って感じで、今の時代、カーフキックで反撃できるわけだよね。
物理の圧倒って、一つの怖さではあるけど、反撃の余地を想像できてしまう。
対して、霊って基本、触れない、掴めない。
やから、触れそうな印象より、その象徴から、逆の象徴の方が怖い。
まぁこれも、日本独自なんやろけどね。
正直、今回の伽耶子位置にいたおばちゃん、
金髪の白人さんやって、何故か怖くないよね。
呪わなそう。
いや、呪うんやろけど、白人さんでもそら。
けど、人種関係なく、大阪のヒョウ柄着た紫パーマのおばちゃんの呪いは怖いかって話。
特性だよね。
まぁそれも自分内の定義の範囲内で物事を認知してるから、ではあるけど。
まぁ微妙かな。
頑張ってはいたけどね。
むしろ、オリジナルの呪いを展開させた方が良かった気がするよね。
その土地に憑いてる。
呪怨はコンセプトであり、伽耶子そのもの、もしくはそこから派生する必要性は、必ずしも無いと思うし。
とは言え、悪いわけではない。
また、今回吹き替えで観た事で、印象は大きく変わると思う。
字幕派ではあるけど、ドラマは吹き替えでも観たりするし、
ゲームは吹き替え派だったり、字幕原理主義者ではない。
ただ、吹き替えだと、画面を見なくても聴ける分、
集中力が不要になってしまい、飽きやすくなると言うか。
それに、やっぱり浮いて聞こえる。
日本の声優さんも凄いけど、それはそれの味ではあるけど、
映像で演技してる生の人間と、声で演技してる人の演技、ここが必ずしもイコールにはならない感じ?
別々に感じてしまう。
ジャンルによって、全然かまわないけど、
ホラーのような気持ちを盛り上げないといけない場合、
なんかリアリティが欠如するというか、心の中でね。
そういう意味では、今回のRaktenTV字幕詐欺事件はほんと腹立つよね。
勘弁して欲しいわ。700円って結構たけーし。