このレビューはネタバレを含みます
マチルダはレオンに出会えて本当に良かったね……なんて考える。
限りなくダークサイドに堕ちたマチルダだった。(レオンの方ね!)
オルガが凶行に至るまでの過程がザクザク積み重ねられていく「様式美」で見せる映画でしたね。
映画館の心地良い環境だと、この手のタイプの作品って睡魔との戦いになるんだよなw
とはいえ、彼女のように「これがキッカケで凶行に及んだ」というものがなく、日常で虐げられているという想いの断片が心に鬱積していった結果の凶行なので、ストーリー化しないこの描き方が効いていたように思いました。
時代背景を調べてみると、この時代のチェコ社会はソ連による弾圧でそうとう抑圧されていたらしいですね。
もちろん彼女が幼少期に愛されていたら……というIFは真っ先に浮かぶのだけど、LGBTQ+じゃなかったら?という異なるIFも浮かぶ。
もしも、今の時代だったら。
もしも、他の国で育っていたら。
彼女が自らを「性的障害者」と自虐的に語るのは、社会の重苦しさがさらに上乗せされていたからじゃないかなぁ。
「プリューゲルクナーベ」という聞き慣れない言葉を「いじめられっ子」と語っていたけれど、本来の意味は社会の生贄的な意味もあるらしい。
時代や場所が違って、LGBTQ+にオープンな社会であれば、少なくともイトカと良い関係になった時だけは、モノクロの色彩がカラーになった気がするんですよ。
オルガが凶行に及んだ轢き殺していくシーンを、車の内側からの映像で見せるのは凄まじかった。
淡々と日常のひとコマ化してる様子が怖い。まるで煙草を吸うかのよう。
これもストーリー化しない描き方の効能ですよね。
最後の最期に彼女が悪あがきをしたのが、凶行シーン以上に印象に残った。
彼女は本当に統合失調症になったわけではなく、生きたいという気持ちが死を目前にして少し芽生えたのかもしれない。
思えば、面会に訪れた母が泣き始める姿を見たオルガの表情に、僅かながら驚きとも動揺とも取れるものが浮かんでいたように見えた。
「愛されていたのかもしれない」
彼女はそう気づいたんじゃないだろうか。
なんだかんだ生活するお金を渡し、冬は帰って来なさいと言う母。
自分が間違っていたのかもしれないという思いが、統合失調症を演じるという行為に繋がったのだとしたら?
死の直前の取り乱しの中に、少しでも「母に会いたい」という想いが芽生えていたのだとしたら?
こんなにも悲しいボタンの掛け違いはない。