かなり悪いオヤジ

川沿いのホテルのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

川沿いのホテル(2018年製作の映画)
3.5
ホン・サンスによってほぼ同時期に撮られた『草の葉』『川沿いのホテル』は、2018年に韓国で同時公開されたという。つまり、2本ともテーマは同一で、1本観ただけでは分かりにくいけれど、2本とも観ればすんなり理解できますよ、という類の作品なのだろう。高い評価を受けた『それから』同様モノクロで撮られた本2作品は残念ながら日本では未公開だったらしく、もしかしたらテーマの暗さ?が配給会社の食指を動かさなかったのかもしれない。

キム・ミニをミューズに迎えてから5&6作目にあたる本2作だが、『それから』以降、ホン・サンスの作風に明らかな変化が感じとれるのである。今までの即興演出によるアート路線から、明らかなストーリーと確信犯的なオチを作品に盛り込み始めたような気がするのである。本2作は、観客を煙に巻くためのミスリードというか、安易に真意をさとられまいとするホン・サンスの意地の悪い演出がなかなか冴えてわたっているのである。

さて、ここからが皆さんお待ちかねのネタバレを、まずは『草の葉』から。人気のない路地裏にひっそりと佇むカフェの客はなぜか皆俳優や映画関係者で、故人の話をしていたり、自殺未遂で住む家を探していたり....キム・ミニは、そんなお客さんの話しにこっそりと耳をそばだて一人PCに何やら感想を書き込んでいる、性格がネジ曲がった女を演じている。店の前に植えられた植物園の葉は、数時間しか経過していないのに急成長、持ち込みOKのカフェ店主は最後まで現れず、お目目パッチリだったアインシュタイン人形は、だれもいなくなった店内では目を安らかに閉じているのである。異界と現世の間で惑い続ける『タンホイザー』の劇伴が印象的だ。

私が思うに、『草の葉』とは“草葉の陰”の草葉、つまりあの世のことを言っているのではないか。人は死ぬと生前の記憶を無くすと言うけれど、店内のお客さんは全て自分が死んでいることがわからないまま、故人のことを悼んだり悲しんだりしていたのではないだろうか。韓国人の死装束である“韓服”を路地の入口で貸し出している店があったり、電柱の電線が切断しているのに電気が点いていたり...お店にお客さんたちが一向に家に“帰らぬ”ところが怪しいを通り越してもはや確信犯なのである。

天国につくか地獄につくかで、階段を上ったり下りたりを繰り返す健脚のキム・セビョクは、おそらくキム・ミニと同じ天使という設定だろう。女癖の悪いホン・サンスの分身である映画監督(地獄の使い)がタバコを吸いに表に出た隙に、天使キム・ミニはラスト、セビョクとともに死人たちを天国に導くため、席についたのではあるまいか。つまり冥界の入口で聞き耳をたてながら、“すでに死んだ人たちとちゃんと仲良くできるかどうか”チェックしていたのである。天国と地獄で死んで幽霊になった人や天使のスカウト合戦をしていたのてはないだろうか。

ちょっと分かりにくかった前作に比べ、『川沿いのホテル』には分かりやすい“死”のメタファーがてんこもりである。何せ主人公の詩人がまず、「自分が死にそうな気がする」といって息子2人をホテルに呼び出し、最後は本当におっ死んでしまうのだから。もちろんホテルの目の前を流れる“川”は三途の川のメタファー。キム・ミニと脚長姉さんの2人は、死に際の詩人を迎えにやって来た“歳をくった?”天使といったところだろう。やたらとホテルのベッドで寝ているのは、普段空を翔んでいて歩きなれていない?からかもしれない。

途中、詩人の姿が息子たちの前から時々雲散霧消してしまう演出はいわずもがな、前作同様家に帰れるのに“帰らぬ人”である詩人と息子たち。そして天使が事故らせた車をなぜか運転していた2人の息子にももしかしたら死期が迫っているのかもしれない。特に弟の方は、冥界ホテルのフロント係にサインまでしちゃったのだから。しかし、劇中「天使のようなあなたたちと酒が飲めて、もう死んでもいい」と語った詩人が読み上げた“イカ”ゲーム?の詩が唯一の謎として残るのである。