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幸せへのまわり道のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

幸せへのまわり道(2019年製作の映画)
3.5
[ミスター・ロジャースの大人向けセラピー] 70点

先日、アメリカの有名なテレビ司会者フレッド・ロジャースについてのドキュメンタリー『ミスター・ロジャースのご近所さんになろう (Won't You Be My Neighbor?)』がAmazon Primeで配信されることになった。彼は聖職者であり、60年代のテレビが子供たちをバカにしていたことに失望し、自分で子供向けの番組を初めた人物だ。子供を一人の人間として扱い、徹底して"聴く"姿勢を貫いた彼は、子供たちの引いては人間の理解者として親しまれていたと同時に、マペットを使って歌を歌う子供騙しの道化師としても見られていた。最終的には、子供が努力しなくなったのはロジャースが"何もしなくても全ての人間が特別だ"と言ったからという意味不明な責任転嫁までされてしまう。それほどまでに彼は影響力があった。しかし、驚くべきことに本作品はロジャースの苦労話をまとめた作品ではない。あくまでもロジャースは聖人として手を差し伸べるだけで、主人公は彼に助けられた新聞記者ロイド・ヴォーゲルなのだ。

彼はロジャースの存在を、やはり子供騙しの道化師だと思っていた。彼の取材を受けた時も、全く乗り気ではなかった。怪しげな新興宗教のような圧倒的な肯定を前にちょっと引いてすらいる。しかし、ロジャースはそんなことは見越してかインタビュイーなのにインタビュアーであるロイドに質問を投げかけ、一方通行のインタビューから対話に持ち込む。君が私を知るには、私も君を知らねばならないと言わんばかりに。ロジャースの対応は子供だろうが大人だろうが徹底しており、相手を一人の人間として、全員に全力で対応するのだ。

本作品では、ロジャースの実際の番組『Mister Rogers' Neighborhood』に似せた番組内に映画をはめ込んで、悩めるロイドの物語を一般化する。アラン・チューリングの伝記としてチューリングテストを組み込んだ『イミテーション・ゲーム』のように、本作品の枠構造としてロジャースの番組を用いることで、ロジャースの神聖化とロイドのセラピーとしての両面を具現化する非常に面白い手法だ。そして、一般化された悩みとはロイドとその父親ジェリーの関係である。女好きな父親は母親が死にかけてるときですら別の女といた父親が許せないロイドは、自分にも子供が生まれたこともあって余計に"父親"であることへの不安を募らせている。愛されない子供が自己肯定感を失うのと同じ様に、大人だって悩んでいるのだ。ロジャースはそのことに対して真摯に向き合う。

彼の番組を知らない人は『ミスター・ロジャースのご近所さんになろう (Won't You Be My Neighbor?)』を観るべきだろう。トラのダニエルやキング・フライデー13世などのキャラクターや城・機関車のセットは完全に再現されているし、"好きな人について1分考えてみよう"といったロジャースの名言について本作品で触れられている彼の哲学が決して浅いものではないと気付かされるからだ。だからこそ、ロイドの夢の場面であっても、ロジャースはセットに入らないで欲しかったのだが、それは叶わなかった。

父を責め続けることで、実際には考えることから逃げ出していることなどよくあることだ。ロジャースはロイドにそれを気付かせた。彼はロイドの問題を静かに解決したように、様々な子供たちを静かに救ってきたことだろう。隣人愛が完全に消え失せたこの世界に必要なのは、第二のフレッド・ロジャースなのかもしれない。
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