賽の河原

殺さない彼と死なない彼女の賽の河原のレビュー・感想・評価

殺さない彼と死なない彼女(2019年製作の映画)
3.7
川崎フロンターレさんが2連覇してるにも関わらず無様な試合を繰り広げたため痛飲し、二日酔いで映画の日、バルト9でキメてきました。
オールタイムベストに食い込みます!みたいな異常な評判の良さで、ちょっと期待値が高すぎたんでしょうか、それとも感受性が死んでたからでしょうか。思ったよりピンと来なくて悲しみに包まれてしまいました。なんならこの前の『アナ雪2』にしてもそうなのかもしれないけど、バイオリズム的に今あんまし映画がバチっと来ない時期なんだと思います。この作品で全然ピンと来なかった自分にショックだよ。普通に面白い良い映画だったんですけどね...。あんましショックなので、普段やらないんですけどアマゾンで原作買って捉え直そうとまでしてますよ...。
映画観て思いましたけど、言葉とかコミュニケーションって本当に不思議ですよねぇ。記号としての言葉と言語外も含めた意味でコミュニケーションの在り方って驚くほど変わる。
彼ら彼女らの「殺すぞ」「死にたい」「好き」っていう記号、そして「愛されたい」というようなコミュニケーションにおける根本的な意味、その関わりのねじれや機微を本当に丹念に描いた良作だと思いましたよ。
まあ私なんかもしょっちゅう過激な記号を用いるマンではありますけども、どうでしょう。今時の若い人ってまさにこの映画で描かれるような極端に記号化した言葉でコミュニケーションを取りますよね。「カワイイ」とかもそう。
本作では3つのストーリー、それでいて映像的な仕掛けによってその話と話の一部が同じ世界線、時空にあることが示される。白めのボヤッとしたフォーカスの段差の激しい映像でふんわりした絵づくりなんですよね。
で、話自体はとってもフィクショナル。なんなら撫子ちゃんの台詞回しなんかは実に特徴的ですけど、文芸的な、小説的な台詞回しですよね。古い日本映画みたいな台詞回しでさえある。じゃあフィクションじゃん!って冷めるかというと全くそんなことはなく。常に現実とは一定の距離のフィクションラインのため「あー、こういうフィクションはあり」っていうテンションで進むんですよね。
記号的な言葉のやり取りの中から生まれる真に重みのあるコミュニケーション、映画観てる最中から「いやぁ、実存って感じだわぁ」って勝手によく分からないエモさを感じてましたけど、自然に「こいつらのこの関係性、いいよな」っていうテンションでまったり観ちゃいましたよね。
まったりっていうのも、この映画、長回しがすごく印象的でね。映画全体のトーンはすごくまったりしたテンポなんだけど、コミュニケーションのグラデーションがジワッとくるんですよね。
全然ピンと来なかったのは多分、決定的な喪失のあとのくだりですよね。もう劇場で観ててさ、結構埋まってましたけど、至る所から鼻をすする音多数。みたいな。「あっ、いまここみんな感涙するシーンなのか」って認知はしても全然わたしにはピンと来なくて、なんだか劇場の雰囲気と乖離してる自分に引いてしまう、みたいな。
いやぁピンと来てないから分からん。分からんけども。後半の展開は多分ある種の人にはバチクソ刺さるんでしょうな。なんか私には分からなかった。私に刺さる喪失って多分違う種類の喪失なんだと思いました。
こうなってしまったのも完全に川崎フロンターレのせいだと思いますので、少しは責任を取ってもらいたいなと思いましたよ。
繰り返しますけど、川崎フロンターレのせいでこういう感想になったのであって、良い映画でしたよ。なんなら今年に限らず日本の恋愛映画って本当にレベルが高いと思いましたね。
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